「一途な雄牛」 アーネスト・ヘミングウェイ

闘うことに一途。恋することに一途。何をするにもひたむきな雄牛を描いている。胸中には、いつも何者かに対する怒りがたぎっているが、その理由はわからない。どうしても大人になれないこの雄牛を、牧場主は闘牛場で死なすために売ってしまう。そして、本能をむき出しにした壮絶な闘いの末、雄牛は闘牛士によって殺される。

というヘミングウェイらしい話だ。数分で読めてしまうほど短い。

この「一途な雄牛」(原題:The Faithful Bull)は、ヘミングウェイが入れ込んだ18歳の娘アドリアーナの甥のために書き下ろした童話である。まあ、甥のためと説明されることが多いが、アドレアーナのためにと言った方が正しいだろう。

アドレアーナと知り合ったのは1948年のヴェネツィアで、最後の妻であるメアリとのイタリア旅行の最中だった。ヘミングウェイはこの美少女に夢中になり、孫ほどに年の差がありながら結婚まで考えていた。当然ながら、夫婦不和を招いた。メアリは家を出ることまで考えていたという。実際、この恋はプラトニックで、ヘミングウェイの片思いに終わった。なんとも哀れさが漂う。長編「河を渡って木立の中へ」のレナータもアドリアーナがモデルであり、相当に思い入れが強かったことが伺える。

「一途な雄牛」の挿絵はアドリアーナが描いていることから、二人の距離はそれなりに近かったと思われるが、恋愛とは違う関係性であった。 アドリアーナのインタビュー記事を読んだことがあるが、裏からウェットに攻め込んでくるヘミングウェイおじさんの不気味な圧を感じていたようで、スター作家に惚れられて悪い気はしないが、男としては見れなかったようだ。(やや記憶が曖昧だが)

短編の感想としては、ゴーイング・マイウェイ!という感じで、死ぬ瞬間まで一途に生きたいという著者の願望が顕れているように思える。妻との愛よりも、18歳の娘との情熱的な恋を選ぶあたりに、「今を激しく生きることへの欲求」が見て取れる。生の実感を追い求める気持ちはわからなくもないが、なんとも刹那的である。個人的には、そういった価値観は浅はかに思えてあまり好きではない。堅実に生きるべきとは言わないが、カッコ悪くとも重荷を背負いながら踏ん張って生きている人の方が魅力的に思える。

越路吹雪の「愛の讃歌」って歌があるでしょ。陶酔を誘うムーディな名曲とは思うが、どうも歌詞が好きになれない。今まさにこの瞬間に生きる喜びって、大人の渋さがないなっと思えてしまう。

でも、激しく燃えるようなドラマチックな人生もそれはそれでありなのかな。そういう星の下に生まれた人もいるのかもしれないし。

蝶々と戦車・何を見ても何かを思いだす―ヘミングウェイ全短編〈3〉 (新潮文庫)

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