「夏の読書」 バーナード・マラマッド

とても親近感の湧く味わい豊かな名短編だ。途中から「好きだ、こういう感じ」と幸せを噛みしめながらの読書となった。凄い小説を書いてやるぞという気負いや、私は文豪でございますという奢りがなくて、ナチュラルで心地好い。

正直、読後に1ミリも気持ちが高揚しない短編もある。(どの作家のどの作品とは言わないけど) それをブログの記事にする時は気が重い。ワクワクもズキズキも何もないところから絞り出さないといけない。嘘は書きたくないし、でもその作家のファンが読むかもしれないし、たまたま自分が魅力に気付けていないだけかもしれないし。いろいろ考えると筆が止まってしまう。(正しくは、キーボードを叩く手が止まってしまう。どっちでもいいか) このブログを何度か読んでくださっている方には、テンションが低い記事がどれか見抜かれているとは思うが。

今回のように、圧倒的に素晴らしい場合は書くのに苦労しない。

「夏の読書」の原題はA Summer’s Reading。真冬に読む短編じゃない気もしたが、緩い開放感が漂うアメリカの下町の夏が目に浮かんだ。個人的な好みとしては、最高の物語の舞台だ。原作のイメージ喚起力の高さはもちろんあるが、柴田元幸氏の訳業によるところも大きいかもしれない。

主人公は、高校中退で無職のジョージ。父親や姉から小遣いを時々もらっている半引きこもりの19歳。昼間は家の掃除をしたり、ラジオで野球中継を聞いたり、安っぽい写真雑誌を読むという毎日を過ごしている。暑い太陽が沈み涼しくなると、夜の通りへ散歩に出かける。ある夜、両替所で働いている近所のミスター・カタンザーラに「昼間は何をしているのかね?」と声を掛けられ、「教養を身につけるためにいろいろと読んでるんです」と嘘をついてしまう。それからというもの、町の人や家族がジョージに対して優しい態度に変わる。ミスター・カタンザーラが、読書好きの青年という噂を広めたのだろうとジョージは考える。でも、実際は作り話である物語には興味が持てず、何も読んではいなかった。やがてジョージは、読書のことを聞かれるのが嫌でミスター・カタンザーラとの会話を避けるようになっていく。。。

ここには書かないが締め方がまた良い。後味も良い。最高だと思う。

この物語の舞台は、おそらくニューヨークの下町。(どこかに記述があったような無かったような) 夜になると涼を求めてに屋外に出てくる地元の住人たち。夏のルーズさと無防備さが、この短編のフィジカルな魅力を醸成している。読書をする人間がリスペクトされるあたりも、下町のリアリティという感じで可笑しい。家庭は貧しく、16歳の時に衝動的に高校をやめてしまったため、引け目を抱えて生きることになる。就職にも苦労する。そんなツキに見放されたようなジョージに著者は寄り添い、物語を穏やかに紡いでいく。そこには、温度がある。

ちなみに、バーナード・マラマッドは1914年生まれ、ニューヨークのブルックリン出身、ソール・ベローやフィリップ・ロスと共に20世紀を代表するユダヤ人作家。日本ではそれほど知名度がないかもしれないが、ロバート・レッドフォード主演の「ナチュラル」(1984)の原作者でもあるビッグネームだ。知らないと損をする作家だと思う。

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