「最初の七年」 バーナード・マラマッド

読んでいる時はそれほど面白いとは感じなかったのに読後なぜか心に残る、そういう短編だ。好きか嫌いか、そう訊かれると困ってしまう。親近感があり味わい深いが、偏屈なオヤジ臭さに拒絶反応も出たりと、正直よくわからない。

お世辞にも華がある話とは言えない。

ポーランドからアメリカへ移住してきた靴屋のフェルドは、店の前をよく通る大学生のマックスを娘の結婚相手にできないかと思案している。娘は父に逆らい、進学せず就職してしまった。犠牲を厭わず学問に励むマックスがもし娘と付き合ってくれたら、大学へ行く気になってくれるかもしれない。知り合いでもなんでもない青年に対して、靴屋は一方的にそんな妄想を膨らます。ある日、マックスが靴の修理のために店に来た。靴屋は娘をデートに誘ってほしいと頼み込む。マックスは娘の写真を見てから承諾し、電話番号のメモを受け取った。その直後、黙々とひたむき働いてきた使用人のソーベルが怒って店を飛び出してしまう。ソーベルに頼り切ってきた靴屋は困惑する。別の使用人を雇ってはみるものの、店の金をくすねられてしまう。仕方なしに靴屋はソーベルを訪ね、戻ってほしいと直に伝える。ソーベルは靴屋の娘への一途な恋心を打ち明け、マックスと付き合わせようとした靴屋へ怒りをぶちまける。靴屋は「ソーベル、気でも狂ったのか。あの子がお前みたいに年とった醜い男となんか結婚するものか」と吐き捨てる。

といった話で、使用人ソーベルの邪心のない不器用な恋心が胸を打つ。ネタバレになるが、娘はマックスとデートをするものの人間的な魅力を感じずもう会わないと父に告げる。最後にこの靴屋はソーベルのひたむきさに心を動かされ、二年後という条件付きで求愛を許す。

この短編を乱暴にまとめると、「容姿でもなく金でもなく、大切なのは心だよ」ということかと思う。(陳腐な表現で申し訳ない) 靴屋は、はじめは差別的で深みのない男として描かれているが、最後には人として心を取り戻す。読後感は悪くない。やや古臭い印象を受けたが(1950年頃の作品だからそう感じるのではなく靴屋フェルドの老害ぶりが)、よくできた話だとは思う。

とここまで書いてきたが、やはりこの短編が好きかどうかは、よくわからない…。

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