一言でいってしまうと、冴えない中年男の情けないエピソードだ。よく笑い声を後で付け加えた「奥様は魔女」のような海外のホームコメディがあるが、そういったライトなドラマを観ているような気分になる。主人公が小馬鹿にされたり、困った事態が生じるたびに観客の笑い声が聞こえる感じがした。ちなみに、後付けの笑い声のことをラフ・トラックと呼ぶらしい。
あらすじはというと・・・ 大学時代からの友人夫婦宅に泊まりに来た気の優しい中年男レイモンドが、夫妻の留守中にエミリ(妻の方)のノートを覗き見してしまう。そこに、「レイモンド月曜来訪。嫌だ、嫌だ」という何ともショッキングなメモ書きを発見し、自分が歓迎されていなかったことを知る。しかも「ぐちぐち王子」という最悪のあだ名まで付けられていた。レイモンドは不愉快になり、衝動的にそのページをぐしゃっと握りしめてしまう。皺になったノートで、覗き見たことがバレてしまう。間違いなくエミリは怒り狂うだろう。でも、一度皺になった紙はもう元には戻らない。犬のせいに見えるよう、部屋中をそれっぽく散らかし、犬の匂いを作るために古いブーツを鍋で煮はじめる。でも、何だかわざとらしくリアリティが感じられない。まずは犬の目線になるべきだと考え、レイモンドは四つん這いになってみる。そこに予定より早くエミリが帰ってきた・・・
といったドタバタ劇だ。読み物としては充分に楽しいのだが、なぜカズオ・イシグロがこれを書いたのか?ノーベル賞まで獲る作家が、ただ面白いからという理由で小説を書くだろうか。きっとそこには隠された意味があるはずだと、深読みをしたくもなる。実際にネット上にはいろいろな解釈が溢れている。でも、個人的には、この短編に隠喩をあまり感じなかった。何の根拠もないが、作者は自分自身の救済のためにこれを書いたのではないだろうか。文豪であっても同じ人間。この短編の主人公レイモンドと似たような失敗をやらかし、右往左往して消耗し、意気消沈することもあるだろう。小説の中で、同等あるいはそれ以上の辛さを主人公に経験させることで、「生きていればいろいろあるさ」と気持ちを軽くしたかったのではないか。 嫌なことがあった時、誰かに慰められることより、自分だけじゃないと思えることの方が救いになる。的外れな解釈かもしれないが、そんな気がした。
夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)