『ムーア人』 ラッセル・バンクス

久しぶりに心に沁みた。 こういう名編に出会うと、読書の価値を再確認できる。ここ一年でベストかもしれない。

訳者の村上春樹氏がこの短編の紹介文を「しかしこれ、いい話だと思いませんか?」という一文で締めているが、もう本当に同意しかない。いい話と言っても、生命保険のCMみたいな偽善的なハートウォーミング話ではなく、切なく、重く、深いところでじんとくる。

舞台はニューハンプシャーの州都コンコードのバー。コンコードは、地図でいうとボストンのちょい上あたり。冬は乾燥し、降雪の多い地域。

フリーメイソンのセレモニーを終えて仲間と飲みにきた中年男と、80歳の誕生日を息子夫婦たちと祝う老婦人。その二人が閉店間際のバーでの三十年ぶりに再会するという話だ。

あらすじだけ読むと「文学文学した堅苦しい話」をイメージするかもしれないが、とにかく文章が自然に流れていて、20ページにも満たない短編なのでサクッと読めてしまう。自然に流れているというのは、村上春樹訳というのが大きい。加えて一人称・時系列で話が語られるので、とにかく読みやすい。変に捏ねたり、無意味に複雑にしたり、やたら小難しく表現したり、そういう余計なことをしていないので物語の中にスムーズに没入できる。

理屈で落とさない締め方もパーフェクト。抑制された表現、優しいムードも心地好い。ヘミングウェイの『清潔で、とても明るいところ』もそうだが、周囲が鎮まった夜深い時間の物語が個人的には好きなのかもしれない。

「小径に残された我々の足跡を雪が埋めていくのを、じっと見ていたいと思う」

就寝前の静かで穏やかな時間に、是非ご一読を。

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