「氷の宮殿」 スコット・フィッツジェラルド

フィッツジェラルドの作品について書くことに何となく気後れを覚える。特にファンというわけでもないし、詳しいわけでもない。ネット上には既に多くの愛読者たちの熱い解説が溢れている。

ということで、肩の力を抜いて書くことにする。

「氷の宮殿」(原題:Ice Palace)は、著者デヴューの年である1920年に刊行された短編。当時のフィッツジェラルドといえば、華々しく登場した時代の寵児であり、富も名声も瞬く間に手に入れたスター作家だ。狂騒の20年代のはじまりという、期待に心が弾む夢のようなで時期でもあったろう。若い男女が主人公ということもあるが、「氷の宮殿」にも明るさや瑞々しさが漂う。

この物語ではアメリカの南部と北部の価値観やムードの違いが描かれているのだが、主人公のサリー・キャロルという女性にフィッツジェラルドの妻ゼルダがどうしても重なってしまう。ゼルダもこの主人公同様に南部(アラバマ州)の出身で、器量がよく気まぐれで怠惰というキャラクターもよく似ている。(ゼルダは、社会的な規範をとことん軽視したフラッパーと呼ばれる女性の元祖的存在)この小説を執筆した頃は新婚で、おそらくフィッツジェラルドはゼルダにゾッコン(死語?)であったと思われる。

プロットは、身近なもの(南部)では満足できない女性がアウェイ(北部)での幸せを求めたものの、我が強く奔放な性格のため結局はホームに戻ってくるという話だ。

これは、悲劇と呼べるのだろうか。村上春樹氏は悲観的な物語と捉えているようだが、読後の率直な感想としては、水の合わない世界から抜け出せて良かったと思えた。以前のように思うまま生きられる、そんな安堵感が漂うラストに自分には感じられた。サリー・キャロルにとって、自我を押し殺して耐える人生より、婚約破棄の方が幸せに思えるのだが、楽観的か悲観的か、皆さんはどちらと感じるのだろう。

マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)

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