久しぶりに村上春樹作品を読んで、思っていた以上に明るいと感じた。主題とかストーリーがポジティブだとかハッピーだとかいうのではなく、作品に漂うトーンが暗くないという意味で。重苦しい文体は気が滅入って読む意欲が失せてしまうので、ライトであることは改めて強みなのだと感じた。
で、『品川猿』だが、有名な短編なのであらすじは必要ない気もするが一応。
自分の名前を忘れてしまう26歳の女性が、品川区役所の悩み相談室でカウンセラーの中年女性と出会う。相談を重ねる中で心の暗部を直視することになる、といった話だ。学生時代の寮でのエピソードや名札を盗む猿については割愛。(そこを省くって…)
「名前忘れ」は充分な愛情を受けずに育ったことによるアイデンティティ喪失のメタファーなのか?みたいな話を書くつもりはない。愛を知らないから嫉妬の感情も理解できないとか、そういう理屈はちょっと面倒臭いでしょ?とにかく今更この有名短編について考察するのは気が引ける。
冒頭にも書いたが、愛情を受けずに育ったことによる心の闇が主題なのに、とてもライトなタッチで書かれている。重いテーマとライトなタッチ、この組み合わせは村上春樹の一つの特徴と言えるだろう。
重厚な主題+ライトなタッチ=村上春樹
暴力的な修羅場+飄々とコミカルなタッチ=コーエン兄弟
絶望や閉塞感+惚けたユーモラスなタッチ=カーヴァー
てな感じで反対のものを組み合わせると、奇妙な味が生まれたりする。
スイカに塩みたいなことだろうか。いや、それとは違うか。いや、違うってわけでもないか。
この『品川猿』という短編の一つの鍵として「嫉妬」が挙げられるが、著者自身は嫉妬心とは無縁に生きてきたようだ。「僕は嫉妬心ってほとんどないんです。どういうものかもずっとよくわかりませんでした」と語っている。嫉妬とは「他人をうらやましく思い、ねたむこと」で、自分よりも優れていると感じる人に対して抱く感情のことだ。嫉妬心がないということは、自己愛が強い、あるいは自己肯定感が高いということだろうか。でも、『品川猿』ってそういう話ではないよね。(只今混乱中)
まあ、私は人並みに嫉妬心を持ち合わせているので、著者の気持ちはいまひとつ理解できない。短編としては充分に楽しめたが、捉えどころがなくて著者に逃げ切られてしまった感じがする。
面白かった、ただそれだけでいいのかな。