「猫を棄てる 父親について語るとき」 村上春樹

生真面目で学問を愛し、京都大学大学院で学び、俳句を生涯の趣味とし、多くの生徒たちから慕われる教師であった父。一緒に猫を捨てに行った少年時代の思い出、語ろうとしなかった戦場での体験、ひとり息子への秘かな期待、そして二人の間に生じた齟齬、不和…。

短いけれど、ずしりと重いエッセイだ。(可愛らしいカバーだが、中身は重たい) 小説のような比喩表現は無く、実直に父親について書かれている。他のエッセイと違い、軽妙さやウイットはない。いつかは書かなければいけないテーマと考えていたらしく、気合を入れ重い腰を上げ執筆したようだ。

俗受けするような色づけを避け、メッセージ性を弱め、雑味のない透明な文章で綴られている。大切に書かれたエッセイであることが読み手に伝わってくる。

著者と同い年のブルース・スプリングスティーンは、自伝の中でかなりのページを父親との確執に割いている。父親がどのような男だったのか、ある年齢に達してようやく客観性をもって再確認できるのかもしれない。村上春樹氏はブルースのファンであるので、うつ病を告白するなど大きな話題を呼んだこの自伝を読んでいるはずだ。異なるタイプの親子ではあるが、もしかしたら執筆の一つの動機になったのかもしれない。(ただの勘で根拠はないが)

「猫を棄てる 父親について語るとき」は、とても重要な意味を持つエッセイだと感じた。30分もあれば読めてしまう本だが、内容は値段以上に濃い。

個人的には次の文章がとくに印象に残った。

「こういう個人的な文章がどれだけ一般読者の関心を惹くものなのか、僕にはわからない。しかし僕は手を動かして、実際に文章を書くことを通してしかものを考えることのできないタイプの人間なので(抽象的に観念的に思索することが生来不得手なのだ)、こうして記憶を辿り、過去を眺望し、それを目に見える言葉に、声に出して読める文章に置き換えていく必要がある。そしてこうした文章を書けば書くほど、それを読み返せば読み返すほど、自分自身が透明になっていくような、不思議な感覚に襲われることになる。手を宙にかざしてみると、向こう側が微かに透けて見えるような気がしてくるほどだ。」

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