「ごく短い物語」 アーネスト・ヘミングウェイ

センチメンタルな初期の短編で、「ごく短い物語」(現代:A Very Short Story)という題名の通り、文庫で3ページとごく短い。そもそもは短編集「われらの時代」の各短編の間に挟み込まれるスケッチであったものから格上げされた一篇だ。
第一次世界大戦中、イタリアのパドヴァの病院で療養中の「彼」が、看護婦のラズと恋に落ちる。戦争が終わり、結婚に備えて就職するために彼は一足先に客船でアメリカへ帰国する。別れ際、ラズが帰国したがらないことで二人は諍いをした。ラズは雨のよく降る寂しい都市ポルデノーネに戻り、大隊の少佐と付き合い始める。そして「あなたとの恋は少年と少女のそれにすぎなかったのよ」という趣旨の手紙をシカゴの彼に送る。今のあなたにはわからないでしょうけどいつか私を許し、感謝する日が来る。春になったら少佐と結婚する、といったこともそこに書かれていた。

といった失恋の話である。1918年、まだ10代のヘミングウェイは、イタリア戦線で多数の砲弾の破片を浴びて重傷を負っている。ミラノの赤十字病院での療養中、7歳年上のアグネスという女性と恋に陥ちている。そして19年にシカゴのオークパークへ帰郷した。その時の、何事にも価値を見出せない虚無感を描いた短編が「兵士の故郷」である。死と隣り合わせの恐怖と虚しさ刻み込まれた戦争体験、情熱的に恋した女性の喪失、ヘミングウェイの生涯の中で最も辛い時期だったかもしれない。

そこから逃げ出すように、彼はジャーナリズムの仕事を目指し、20年にカナダのトロントスター紙のフリー記者となる。21年にハドリーと結婚し、その年にパリへと移住している。ストレートな表現をするなら、うぶなアーネストは年上のアグネスにもてあそばれ、精神的にずたずたになっていた。その反動から、8歳年上の内気な女性ハドリーに癒しを求めた。まだ小説を発表していなかったヘミングウェイをハドリーは支えた。パリへの移住にしても、彼女が手にしていた遺産を頼っている。尖った芸術家が集うパリでの社交は彼女にとって楽しいものではなかったが、ヘミングウェイのために献身的に努力した。超がつくほどにわがままなヘミングウェイは、ハドリーの寛容さに甘えて暮らしながら、多くの関係を築き、そして自ら壊していった。

「ごく短い物語」 には、当事者としては思い出したくないような辛い経験が赤裸々に書かれている。明暗を併せ持つ複雑人間で、お世辞にも人間関係を大切にしたとは言えないが、すべてを晒して書くという作家としての覚悟はこの短編から見て取れる気がした。

われらの時代・男だけの世界 (新潮文庫―ヘミングウェイ全短編)

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