「不意打ちの幸運」 フラナリー・オコナー

親の悪口、兄弟の悪口、近所の悪口。ノンストップで罵りまくる中年女性を主人公にした短編だ。

例えば、母親について・・・

三十四歳のころの母親は、しなびきった黄色いりんごみたいだった。それも酸っぱいりんご。母親ときたらいつも不機嫌で、なにもかも不満だという顔をしていた。

母さんはなにも知らなかったからだ。無知のせいだ。正真正銘の無知!

弟のことも・・・

もう少しましな人間に成長したかと思ったのに。相変わらずの床拭きの雑巾同様なんだから。

まったく役立たずのでくのぼう。

豚小屋から一度も外に出たことがないみたいに間が抜けているんだから。

てな調子で、憎まれ口がとまらない。

主人公の女性が憎悪しているのは、ろくでもない子どもを産むたびに医療器具でいじくりまわされる暮らしであり、子育てに追われ老け込むだけの不満たらたらの田舎者の人生である。そうした地獄から抜け出し、都会で快適な暮らすことを切望している。

ネタバレ注意のストーリーなのであらすじは書かないが、南部の敬虔なクリスチャンの家庭で育ったであろうこの女性は、避妊という反カトリック的行動もとっている。そこだけ見ても、「同じ人生を歩むつもりはない」という強い反発がうかがえる。

憎悪に満ち満ちたこの女性が、オコナーの代弁者であるかというと、一概にそうとは言ない。オコナーは、自分の意見を登場人物に直接語らせるのでなく、場面を積み重ねることで表現するという方法にこだわった作家である。つまり、主題は物語そのものの中にあるのだと。個人的には、そこまで徹しているとは思わないが。。。

ちょっと、話がややこしくなってきた。

この短編、口汚いし、テーマも重いので、あまり気持ちのよい読書にはならない。見たくないものを露わにしてくるので、スカッと爽やかな気分というわけにはいかない。とは言っても、解釈を限定してくる押し付けがましささはない。著者の価値観は滲み出てはいるが、モラルを無理強いしてくるような説教臭さは感じない。私は、上から押し付けてくる人が基本的に嫌いなので、このブログで取り上げる作家はフラットさを持った人が多くなる。

野球解説者の落合博満氏が、ある番組で現役選手にバッティングフォームのアドバイスをしていた。その時、「俺が知っているのは落合博満の正解だから、真似せずにお前の正解を探せばいい」的な発言をしていた。型にはめないから、選手は自発的に輝くことができる。この人が監督になると常勝チームになるのはわかる気がした。

もの凄く辛辣だったり、グロテスクだったりしても、マッチョなお仕着せがない。そこがオコナーの魅力ではないかと思ったりする。チェーホフやヘミングウェイも然り。デリケートな感性があるから、上から目線にならない。アンチ・マッチョ。そこがいい。

今回も、取り留めない記事になってしまった。。。


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