想像力を駆使する作家による、詩情に溢れた短編だ。記憶にまつわる作品を集めた短編集「メモリー・ウォール」に収められている。原題はThe Demilitarized Zoneで、忠実に「非武装地帯」という邦題が付けられている。ニュースなどでよく耳にする非武装地帯とは、条約によって武装を禁じられている地域のことで、もちろん基地や要塞を建てることはできず、兵士が駐留することさえ許されていないエリアのことである。
この物語の構造は、アンソニー・ドーアらしく凝っている。
朝鮮半島に駐留する米軍兵士である息子から、アイダホの両親宛てに手紙が何通も届く。そこには近況がしたためられており、父が一人でそれを読み、保管している。母は別の男の元へ去ってしまい、すでに家にはいない。父は母に怒りを覚えており、息子からの手紙も彼女には読ませない。両親が別れてしまったことについて、父は息子に伝えていない。祖父は父と暮らしているが、アルツハイマー型認知症を患い、記憶を失っている。
息子は非武装地帯から飛んできた神々しいツルが、通信線に衝突して舗装道に落ちるの見かける。そのツルを抱き上げるが、すぐに腕の中で死んでしまう。彼は金網の向こうの非武装地帯へとツルを運び、穴に埋めた。この行為は無断外出、無許可離隊に当たり、何らかの処分が下されることとなった。最終的には軍法会議にかけられずに済み、米国に送還されることが決まる。息子から家に電話があり、あさってに帰ると父に告げる。父は、母が出て行ったことを電話で言いそびれてしまう。何も知らぬ息子がもうすぐ帰ってくる・・・
物語の最後で父が取る行動は、とても静かでありながら、生きることの重みや深みを感じさせる。息子からの手紙には、「アイダホが恋しい。母さんに会いたい」という一文がある。家を去った母親は、手紙を読んでいないため、こうした息子の思いを知らない。「非武装地帯」という短編は、厳ついタイトルではあるが、弱者の目線で物語を紡ぐ著者の繊細さと優しさが漂う一篇だ。
良質な短編であると思う。ただ、私は凝ったプロットがあまり好きではない。話が複雑になるほどに、力強さは削がれてゆく。技巧派の変化球投手に、堂々とした快活さや清々しさがないように。それに加え、作為的にも思える。つまり、構成に凝ると作り話っぽさが増すのだ。いろいろと捻りを加えたり、趣向をこらしたところで、シンプルな一撃の前に吹き飛ばされてしまう。そういう価値観を持っている。好みの問題かもしれないが。
アンソニー・ドーアはやや込み入った物語を創作する作家というイメージがあり、日本で映画化されたデビュー作「貝を集める人」について記事を書いた際にも、「あらすじを書くのは難しい」と私は嘆いた。変化に富んでいて要約できないのだ。今回の「非武装地帯」はとても短い短編だが、それでも巧みな変化球に若干の拒絶反応が出た。ヘミングウェイであれば、息子から届いた一通の手紙だけにフォーカスしたスケッチにしそうだ。
良い物語ではあるのだが、私には情報量が多過ぎる。「長いあいだ、これはグリセルダの物語だった」はかなり良かったので、また別の作品も読もうと思う。