「ある訣別」 アーネスト・ヘミングウェイ

原題はThe End of Something。「ある事の終わり」とも訳されている。「訣別」という言葉にはさっぱり、きっぱりというニュアンスがあり、主人公ニックの決断を滲ませた邦題と言える。「ある事の終わり」の方が、想像に委ねる原題のトーンに近いとは思うが、「ある訣別」が持つ清澄さが個人的には好きだ。

「ある訣別」は1925年刊行の短編集「われらの時代」に収載された、著者が24歳の時に書いた短編で、ニック・アダムスを主人公とした作品の一つだ。20歳のヘミングウェイが、17歳の女子と実際にホートーンズ・ベイで過ごした思い出をベースにしていると言われている。その子の名前はマージョリー・バンプで、小説の中でもそのままマージョリーとして登場させている。(実名で小説を書く感覚がよくわからないが、時代が違うということか) しかし、この短編に描かれている内容が実話ということではないらしい。実名を使用し、実際に二人は湖で過ごしているが、中身は創作。わざわざ誤解を招くような紛らわしいことをしているように思えるが、それはどうしてなのだろう。その問題について考えることは、ヘミングウェイを知る上で意味があるように思える。ヘミングウェイは、実際に起きたことを小説にしていると思われがちだが、それは違う。事実を書くのではなく、知っていることを書いているのだ。この違いは大きい。誰かから聞いた逸話でも、新聞で読んだ記事でも、カフェの隣のテーブルに座るカップルの口論でも、そこに感じるものがあり、自分の中で消化できてさえいれば、知っていることとして小説の素材にする。自身が経験したことについても、そのまま書くのではなく、自分なりに別の形に再構築して表現する。かなりリアルな創作であるため、ノンフィクションと誤解するのも無理はないと思うが。

「ある訣別」は、その邦題が示す通り、若い男女の別離の話。悲しい風景描写と寂れたホートンズ・ベイの歴史を重ね合わせるように描いている。月光に照らされた湖水の上をボートで漕いで去ってゆくマージョリー、毛布に顔を埋めたまま煩悶する主人公ニック。なんとも切ない読後感だ。

「ある訣別」は「三日吹く風」という短編と対になっており、あわせて読むと、「結婚して家庭に収まり、腑抜けになってしまうこと」への拒絶から、まだ恋愛感情を抱いているマージョリーと別れる決断をしたことが見えてくる。嫌いになっていない、醒めてもいないマージョリーに対し、自らすべてのつながりを消し去る行為に出た後悔と喪失感に悶え苦しむニックが見えてくる。「三日吹く風」はとても良質な短編で、ヘミングウェイらしい「思考の軽視」があり、個人的には「ある訣別」よりも重要な一篇だ。

「ある訣別」はこれまでに何度か読み返しているが、今回まるでルポルタージュを読んでいるように気分になった。正確で、過不足なく、客観的な描写。1899年生まれのヘミングウェイは、1917年にミズーリ州のカンザスシティ・スター社で地方紙の見習い記者となり、1920年からの4年間はカナダのトロント・スター紙でフリー記者を経験している。トロント・スター時代の記事も改めて読み直してみたが、かなり精緻な文章で、そのまま短編集に入っていても違和感がないレベルだ。今更だが、ヘミングウェイの文体のベースがそこにあることを感じられたのは収穫だった。この気持ちは伝わらないかもしれないが、純粋に嬉しい収穫だった。

われらの時代・男だけの世界 (新潮文庫―ヘミングウェイ全短編)

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