「広大な闇」 アリステア・マクラウド

「広大な闇」(原題:The Vastness of the Dark)が発表されたのは1971年(著者マクラウドが30代半ばの頃)だが、半世紀近く前の短編とは思えない瑞々しさがある。ただ、読んだ時の精神状態も関係あるかと思うが、マクラウド作品にしてはあまり響くものがなかった。その理由はあらすじの後に書こうと思う。

坑夫の祖父と父を持つジェームズは、18歳の誕生日に炭鉱の町ケープ・プレトンの実家を出る。坑夫として生きていく未来にノーを突きつけ、祖父母、両親、兄弟たちと別れて暮らすと決断したのだ。ヒッチハイクを繰り返して、ひたすら故郷から離れていくジェームズ。ネクタイを締め、胸のポケットにペンケースを入れた50歳前後の男の赤いクルマに乗せてもたった時、たまたま立ち寄った町が4年前に炭鉱事故のあったスプリングヒルだった。事故当時、ジェームズは14歳。父と二人、古いクルマで夜通し走って救出活動に向かった記憶が蘇る。今、自分が背負っているリュックは、その時に父が作業着を詰め込んでいたリュックだ。ジェームズは、世の中は単純ではないことを知り、思慮深さや愛情深さを得ていく。

最後に便乗させてもらったクルマには坑夫たちが乗っている。彼らの無骨さは、軽薄で欲にまみれた赤いクルマの都会人とは対極にあり、そのコントラストが大切な何かを気づかせてくれる。この物語を締める最後の一行は、かなり決まっている。やられたぁ、とおもわず唸ってしまったほどだ。

しかし・・・この短編にはやや気になる点があった。

会話が紋切り型で、リアリティに欠けているのだ。(あくまで個人的な意見) いかにもといった予定調和な感じで、どの人にもわざとらしさがある。自然に出てきた言葉でなく、セリフを読まされているような感じだ。この短編だけではないのだが。。。もう少し、ズラしたり、崩したりした方がリアルさが出るのではないかと思う。

それともう一点。(まだ言うか) ネクタイをして赤いクルマに乗る都会の男には心がなく、汚れた身なりで壊れかけたクルマに乗る坑夫には心がある、というのはあまりに単純過ぎはしないか。人を外見で判断しているような一面的な印象が残ってしまった。愛郷心が悪いとは言わないが、妄信との境界線は思ったより近くにあるので注意が必要だと思う。

時間を置いて読むとまた違った感想になるかもしれない。解題って難しいなぁ・・・

灰色の輝ける贈り物 (新潮クレスト・ブックス)

TOP