「役人の死」 アントン・チェーホフ

チェーホフはクールだ。残酷なくらい冷め切っている。どの作品もあっさりしており、ドストエフスキーのような何かに固執する粘り気はない。心が温まるような触れ合いも、ワクワクする劇的な筋書きも、涙を誘うドラマもない。スターもカリスマもヒーローも登場せず、これといったメッセージもない。あらゆる、わざとらしく狙った演出や嘘くさい情緒性を削ぎ落としている。潔く、すべて排除している。とてもクールだ。

ただ、根っからの皮肉屋さんなので、短編の多くは否定を基調としている。こうした冷笑的な作風をクールと捉えるかネガティブと捉えるか、このあたりが好き嫌いの分かれるところかと思う。

自身の戯曲が上演され、感動する観客に対して苛立っていたという逸話も残っている。感動しているなんて馬鹿じゃないのか、あんたらの醜さを描いている作品なのに、と思っていたらしい。辛辣でしょ。意外にも規範意識が強いモラリストだったから、他人の振る舞いが気になって仕方なかったのかもしれない。

この「役人の死」 という短編。オペラを観劇中にくしゃみをし、前に座る他部署のボスの頭に唾をかけてしまった下っ端役人の話だ。へつらうように何度も何度も謝るのだが、謝るほどに相手を怒らせてしまうという、風刺の効いた喜劇である。ロシアっぽい題材とも言えるし、チェーホフらしい悲哀というか、みすぼらしいとさえ形容したくなるほど華のない世界が描かれている。

「役人の死」 は割と有名な作品のようだが、傑作とか名作とかそういったスケール感や重量感はない。生活費を稼ぐため、チャチャッと書き上げたユーモア小説なのかもしれないが、妙に印象に残る不思議な話ではある。

100年以上前のロシアの社会状況、当時の小説の影響力、ドストエフスキーやトルストイ、ゴーリキイなどの偉大な文豪たちの存在感。そうしたことがわからないと、チェーホフがどう読まれていたのなかなか想像しにくい。(私もいまいちチェーホフの位置付けがわかっていない)

「犬を連れた奥さん」「可愛い女」「たわむれ」など名作と呼ばれる短編についても、私は理解できていない部分が多い。そもそも、どれも小説の題材としてあまり魅力を感じない。チェーホフの感性が独特なのか、私がまだまだ生ぬるい甘ちゃんなのか。

私はオコナーのような骨っぽい力強さが好みだが、チェーホフ好きの人にある種の凄みを覚える。カッコイイなと上に見てしまう。クールさへの無い物ねだり、なのかもしれない。。。

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