まずは、あらすじから。
しっかりとした音楽教育を受けたハンガリー人チェロ奏者のティボールは、イタリアの小さな町で謎の年上女性に出会う。その女性はティボールにチェロを教えたいと告げ、彼はそれを受けることに決める。連日、ホテルの女性の部屋でマンツーマンのレッスンが行われる。しかし、その女性がチェロを演奏することはけっしてない。それ以前に彼女の部屋にはチェロがない。本当に名の知れた一流チェリストなのだろうか。膨らむ疑念を抱えつつ、そのことには触れずに指導を受けつづける。ある日、ティボールがいつものようにホテルの部屋を訪ねると、ポロシャツを着た大柄な男がそこにいた。その男は女性の恋人であった・・・
読んでいる途中、これはファンタジーなのだと感じた。大きな事件が起きる訳ではないが、ありそうでありえない物語という不思議な印象を抱いた。「夜想曲集」に収められた他の4つの短編も然り、ファンタジックな世界へとシームレスに引き込む浮遊感のようなものがあり、プロット(筋立て)の巧みさこそがカズオ・イシグロ作品(短編)の大きな特徴だと改めて感じた。
では、「チェリスト」(原題:Cellists)のという短編のコアは何か。意外と難しい・・・。才能はしっかりと守らなければならない。俗に染まってしまえば簡単に霧散してしまう。安売りしてしまえばどこかへ消え去ってしまう。そうした才能への信奉をテーマにしている気がした。
やや暗いトーンで物語は終わるが、5篇の短編のエンディングにふさわしく、深い余情を愉しめた。
短編集「夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」には全5篇収められているが、“5楽章からなる一曲”として味わってほしいと著者が語るよう、一種の連作スタイルを採っている。登場人物やシチュエーションは異なっても、「理想と現実」「男女間の溝」といったテーマは通底しているようだ。ということもあって、本ブログでは全5篇をすべて記事にした。(頑張ったので褒めてほしい)
まったく難解ではなく、気難しさもない。音楽の知識なども必要ない。読みやすいのに奥行きがある。晩秋の夜長に最良の読書を約束してくれる、大人が書いた大人のための短編集だ。
夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)