「バビロン再訪」(原題:Babylon Revisited)は1931年に「サタデー・イブニング・ポスト」に発表された短編。1896年生まれのフィッツジェラルドは、1920年に「楽園のこちら側」で若くして脚光を浴び、22年の「美しく呪われし者」、25年の「グレート・ギャツビー」で一気にスター作家へと上りつめる。しかし、栄光の日々は長く続かない。29年の大恐慌を境に奈落の底へと転落していく。享楽を共にした妻ゼルダは統合失調症で精神病院に入院。フィッツジェラルド自身はアルコールに溺れていく。作家としてはすっかり過去の人となり、借金に追われる。プライドを捨て、返済とゼルダとの娘スコティーの学費を稼ぐためハリウッドでシナリオライターの職に就く。背に腹はかえられぬと娯楽短編も書きまくった。ゴシップコラムニストの愛人から経済的援助を受けていたという逸話まで残っている。アルコールに蝕まれた体を心臓麻痺が襲い、44歳という若さで死去。かつてアメリカ文学のトップに立った作家とは思えぬ少人数の葬儀が行われた。。。ピークを早くに迎えているだけに、「転落」という表現がピタリとくる。「バビロン再訪」は、転げ落ちてゆく只中で書かれた短編だ。
享楽に溺れ、アルコールに依存し、落ちぶれたチャーリー。彼がサナトリュームに入っている時に妻ヘレンが義姉の元で急死し、一人娘のオノリアはそのまま義姉夫妻が預かり育てることとなる。彼にとっては、離れ離れとなった娘と再び共に暮らすことが唯一の望みとなった。そして、久しぶりの父娘の再開。チャーリーへの憎悪をどうしても消せぬ義姉に対し、生活を立て直し、酒とも距離を置く姿を印象づけようと努める。義姉が父娘の同居を認めたところに、最悪のタイミングで放蕩時代につるんでいた知り合いが訪ねてくる。
作家自身の人生と重なる部分の多い物語である。経験をベースにしているだけに、微細な部分にリアリティや奥行きがあり、特に父娘の会話は素晴らしい。私が読んだすべての小説の中でも最上かもしれない。
なかなかうまく生きられない。いかにも著者らしい悲哀に満ちた話ではあるが、読後の余韻は悪くない。人生で大切なものは何か、それを教えてくれる作品でもある。Babylon Revisitedというタイトルも最高にかっこいい。
作品から受ける印象だが、フィッツジェラルドは付き合いやすい人間に思える。デリケートでやや気取ったイメージがあるかもしれないが、気難しい性格には思えない。ヘミングウェイと気が合ったというのも何だかわかる気がする。
そのヘミングウェイは、フィッツジェラルドの妻ゼルダを「執筆の邪魔をする気の触れた女」と思っていたようだ。スコットとゼルダについてはウィキペディアに次のような記述がある。
「スコットは妻の強烈な人柄を自分の作品に徹底的に利用したが、夫婦間の衝突の大半はスコットの執筆中にゼルダが覚える退屈と孤独感に端を発したもので、スコットが仕事をしていると邪魔に入ることもしばしばだった。20代だった二人はますます幸せから遠ざかっていった。スコットはひどいアルコール依存症になり、ゼルダの行動も常軌を逸したものになった。どちらも創作に向かって励むことはなくなった。
ゼルダは誰にもよらない自分自身の才能を磨きたいという強い思いを持っていた。そこにはおそらく夫の名声や作家として成功への反発があった。27歳のゼルダはかつて勉強していたバレエにとりつかれたようになる。子供のころは踊りが上手いと褒められていたし、友人たちの評価もまちまちだったとはいえ、ダンスには人並みの才能があるようだった。しかしプロのダンサーになりたいという妻の願いに対してスコットはまったく非協力的だった。時間の無駄だと考えていたのである。
真にすぐれたダンサーになるには勉強をやり直す時期があまりにも遅かったとはいえ、ゼルダは毎日とりつかれたように、厳しすぎるほどの練習を自らに課した。それは長さにして一日八時間にも及び、その後の肉体的、精神的な衰弱につながった。1929年9月にはナポリのサン・カルロ・オペラ団の学校に誘われたが、それは彼女の望みからすればあまりにささやかな成功であり、結局は断っている。社会はまだフィッツジェラルド夫妻が人も羨む暮らしを送っていると信じていたが、友人たちから見た二人のパーティーは洗練されたものからどこか破滅的なものになっていき、どちらとつきあった人間も不愉快な思いをするようになっていた。」
どう見ても幸せとは縁遠く、読んでいて切ない気持ちになってくる。作家自身の人生を垣間見ることで、読書はより感慨深いものになる。
生きるのは簡単なことではない、つくづくそう思う。