「芽むしり仔撃ち」 大江健三郎

夜更けに仲間の少年の二人が脱走したので、夜明けになっても僕らは出発しなかった。

これは、「芽むしり仔撃ち」の冒頭の一文である。一つの文章の中に「主語+述語」が複数含まれている重文というタイプの文章だ。簡単に言うと、二つの独立した文章が結合されているため、どうしても読みにくさや難解さが生まれる。

「芽むしり仔撃ち」は、このようないくつもの読点で繋げられた重文を次々と読者に投げつけてくる小説だ。口当たりが良いとはお世辞にも言えないが、うねりの強い文体から醸し出される独特のパワーがある。

彼の殴打のやりかたには看守くさくない、僕らの言葉によれば、男気のあるいい所があったので、僕らは彼をふくめて再び緊密に一つの集団を回復した。

とか、

兵士たちの行列が見えなくなると、嵐のあとのさわやかで強い風のように、女たち老人たち、綿にふくれた着物を喉まで着こんだ子供たちらがそれを追って駆け去った。

といった感じで、二度読みしないと理解しにくい箇所も多い。正直、私は癖の強い文体があまり好みではないのだが(ヘミングウェイやカポーティの端正さに惹かれる)、エネルギッシュで生命力に溢れたスタイルへの憧れもどこかに持っていたりする。情景や感情がぎゅうと詰め込まれた濃密な文体でなければ、この短編の魅力は半減してしまうことだろう。

あらすじはWikipediaから。

太平洋戦争の末期、感化院の少年たちは山奥の村に集団疎開する。その村で少年たちは強制労働を強いられるが、疫病が発生した為に村人たちは他の村に避難し、唯一の出入り口であったトロッコは封鎖され、少年たちは村に閉じ込められてしまった。見棄てられたという事実、目に見えぬ疫病に対する不安、突然顕われた自由に対して途方に暮れた時を越えて、子供たちは、自然の中で生を得て祭を催すにいたる。少年たちは閉ざされた村の中で自由を謳歌するが、やがて村人たちが戻って来て、少年たちは座敷牢に閉じ込められる。村長は村での少年たちの狼藉行為を教官に通知しない替わりに、村人たちはいつも通りの生活を送っていて、疫病も流行していなかった事にしろという取引を強要してくる。少年たちは当初は反発したが、やがて次々と村長に屈服してゆく。そして最後まで村長に抵抗する意志を捨てなかった「僕」は村から追放される。

「芽むしり仔撃ち」は23歳で書きあげた記念すべき初の長編(中編?)であり、著者本人にとってお気に入りの作品らしい。

大人たちに見捨てられ、憎まれ、理不尽な暴力と差別を受けつづける感化院の少年たちが主人公である。無力でピュアな存在である子供たちが、狡賢く陰湿な大人の力にねじ伏せられてしまう。そんな救いようのない重い物語だ。大江健三郎という作家の中には、大人が象徴する権威への強烈な憎悪が沸騰していて、とても理性では抑え切れず、この短編で吹き出していると感じた。この物語は、実際の事件などをベースにしたものでなく、著者が創造したフィクションらしい。それを考えると、余計に憎悪の強さを感じてしまう。

私は日本文学には無知なので(夏目漱石、森鴎外、谷崎潤一郎・・・をガァーと読み漁った時期もあったが、どれも響かなかった・・・)、大江健三郎氏のこともよくわかっていない。解題などとてもできないし、的を射たことを書く自信もない。でも、計り知れないほどの憎悪がベースにあるということだけはとても強く感じた。

なんというか、骨が太くて食べにくい魚のような短編だ。

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