『木野』(きの)は、この短編の主人公の苗字で経営するバーの店名。陰りのある鬱な話だが、しっとりと潤いがあり、秋の読書に最適な一篇かと思う。長編小説のような雰囲気を持った短編小説、読み終えてそう思った。
ここからは個人的に気になったこと。
この短編には猫やら蛇やら常連客やら柳の木やら絵葉書やら、メタファーが次々登場してくるのだが、それらをうまく回収しきれなかったのではないかという気がちょっとした。批判したいわけではなく、著者自身もこれらの比喩をグリップしている感覚は薄かったのではないだろうか。(あくまで勝手な想像)
主人公の木野が旅に出たあたりから、伏線回収のために苦労しているような印象を受けた。ミニマリズム大好き、Less is Moreが信条の私としては、閉店後のくだりをばっさりカットしたくなる。ただの一読者が偉そうに言うのもどうかとは思うが、個人的には前半の方が楽しめた。それでも、基本的には好きな短編だ。短編集『女のいない男たち』の収録作では『独立器官』とこの『木野』に惹かれる。
前述した通り、この短編には数多くの隠喩が散りばめられているため、どうしても答え探しに興味が行きがちになる。実際に『木野』を取り上げているたくさんのブログをチェックしたが、そこではクイズの問題を解くかのように推論が熱く展開されている。謎解きの魅力を理解できなくはないが「感動した」とか「怖かった」とか「涙が出た」など心がどう感じたのかにあまり触れられていないことに違和感を覚えた。
少し前の記事でも紹介したが、チャップリンはこう言っている。
説明しなければ理解できないような美に対して、私はあまり寛容でない。
もし創作者以外の誰かによって、その美について補足説明が必要ならば、
私はそれが果たして目的を達成したと言えるのだろうかと疑う。
『木野』について必ず語られる「傷つくべき時に傷ついておかないと…」とか「両義性」については、個人的には心に響いてくるものはなかった。正直、よくわからないし。でも、何度も言うがこの短編がとても好きだ。理屈じゃないところで。まあ、それでいいのかなと思っている。