「随分と奔放に書くねぇ〜」というのが私の率直な感想だ。「庭の中で」に限らず他の作品でも、えっ?というような個性的な視座から、短編小説の暗黙のルールに縛られることなく書いている。ルールから自由なのは一つのスタイルだが、なにやら妙に込み入っており、ややナーバスな印象を受けた。
話し言葉は地の文に溶かしている。短い話の割に登場人物が多い。場面は忙しなく動いていく。村上春樹訳にしてここまで難解なのだから、原文はかなりややこしいと思われる。
正直に言うと、読書中も、読後も私の心には何も響くものがなかった。村上春樹推奨なのだからきっと素晴らしい文学に違いない、そう思って頑張って読んだが、残念ながら魅力を発見できなかった。
グレイス・ペイリーは、1922年生まれのロシア系ユダヤ人女流作家だ。NYブロンクス育ちで家は貧しかった。結婚して二児をもうけたが離婚。シングルマザーとして子育ての傍で執筆したという。60年代に入り、公民権運動や反戦デモなど政治活動へ積極的に参加し、若者のカリスマ的存在となった。2007年没。
乱暴にまとめてしまったが、ユニークな経歴の作家である。独特で、難解で、万人受けするタイプの作家ではないだろう。私のリテラシーが低いと言われればそれまでだが、どの短編もだいたい読みにくく、わかりにくい。(「不安」はわかりやすくて惹かれるところがあった) 「庭の中で」は始め方も、展開の仕方も、締め方も奇妙だ。こういう作家がいても良いと思いたいが、難解な作品を書く作家は、自分のことをちょっと偉いと思っているのではないかと穿った見方をしてしまう。「私のひらめきには価値がある」という慢心がどこかにあるのでは?と感じてしまう。
以前にも書いたが、私は映画監督ビリー・ワイルダーの次の言葉が好きだ。
「人々を退屈させるのは罪だ。何か大切なことを言いたいのなら、それをチョコレートにくるみなさい。」
これは映画に限ったことではなく、小説も同じだと思う。読者に我慢の読書をさせない、そうした気遣いのできる作家が私は好きだ。「人々を退屈させるのは罪だ」という謙虚な姿勢があれば、表現は自然と伝わりやすくなるはずだ。純文学にはそういうエンタメ的なサービス精神は不要だというなら、私は純文学自体が好きではない。
グレイス・ペイリーのファンには腹立たしい記事になってしまったが、あくまで私の個人的な感想で、大切な何かを受け取ったり、強く感じるものがあったという方だってきっといるだろう。私だって時間を置いて再読したら、まったく別の感想を抱くかもしれない。こういう意見もあるのだと寛容に受けとめていただきたい。