『遠い夏に見つけた場所』は小説のタイトルではない。1999年のEsquireに載っていたBOSSのオードトワレの広告文である。当時、私は広告制作会社でコピーライターをしていたが、ライティングについて誰かから教わったという記憶はなく、今思えばEsquire日本版が師であった。そのスタイリッシュな表現にとにかく憧れていた。神田でバックナンバーを買い集め、吸収できるものはすべて吸収しようと必死にページをめくっていた。(当時の自分が書いたコピーを見ると熱量が凄くて笑ってしまう)
久しぶりにEsquireを本棚から取り出して読んでみたが、どのページのコピーも最高に良い。ここが原点であることを再確認し、フレッシュな気持ちが蘇ってきた。
『遠い夏に見つけた場所』の本文を全文掲載するのでぜひ読んでみてほしい。(20年以上前の広告なので著作権フリーだよね)
香水の広告だろ?と思うかもしれないが、書き手が魂を込めて書いているのが伝わってくる。
『遠い夏に見つけた場所』
油壺の水族館までバスで行ったので、確かその近辺だったのだと思う。海辺の別荘と呼ぶには無理がある、取り壊し寸前の建物だった。両親とも東京生まれで、夏休みだというのに訪ねるべき田舎がなかった小学生の私を、近所に住む家族が旅行に加えてくれたのだった。優しそうなおじさんとおばさん、ときどき遊んでいた同い年の男の子とその妹。
海面から1.5メートル程度の高さしかなく、しかも海とその別荘を隔てるのは1メール幅のコンクリート道だけ。赤黒い蟹がコンクリートの壁をつたい上り、ざわざわと建物の中にまで侵入していた。波の音に混じって聞こえる、蟹たちのカサカサした足音が恐ろしくて、私は寝付くまで何度も不満の声を漏らした。
翌朝目覚めると、私の頭を取り囲んでビーチボールやらタオルやらが、まるで蟹の攻撃を防御するかのごとく並べられている。「ああ、きっと俊太がやったんでしょ」と、おばさんから教えられた。その後ろで彼が白い歯を見せた。
彼女から贈られたという青いシャツを着ていた日に、初めて彼の香りに気がついた。夏の海みたいに懐かしくてまぶしい匂い。
あの夏休みからずいぶん経つが、私と彼は適度な友情を作り上げていた。それぞれの仕事や生活があって何年も連絡が途絶えることもあったが、ふとしたときに無性に彼に会いたくなる。彼の嫌味のない正義感とか、計算のない優しさとか、驚くほど切れ味のあるユーモアが、いつまでたっても変わらないことを確認して安堵する。誰もが気を抜くとしょいこんでしまう狡猾さを、彼はしっかり撥ね除けていた。開放的で、穏やかで、強い人。私に言わせれば、これは奇跡の一つだ。
心地好い香りを発して、彼が近況を語りはじめた。そう、ちょっと離れた場所にあって、でもいつでも迎え入れてくれる。心が和み、疲れが癒されたり、快く戒められたり、力を与えられたり。彼は私の故郷である。