「芝生の復讐」 リチャード・ブローティガン

「芝生の復讐」 リチャード・ブローティガン

以前に読んだ「東オレゴンの郵便局」が深く心に残っていたので、ブローティガンの「芝生の復讐」を再読した。この短編集には、1〜4ページ程度の掌編がたくさん収められている。今回は、どの作品ということではなく、ブローティガンについて感じるところを少し書こうと思う。

再読して改めて思ったのは、良くも悪くもこれは「詩集」だということ。ブローティガンという作家は物語の創作者ではなく、生まれながらの詩人なのだと思う。「芝生の復讐」では多彩な変化球を放っているが、どれも詩的だ。わかるようなわからないような気持ちにさせられ、乾いた情景が読後に残る。こうした作風を強く求めていた時代があって、それに呼応する形で特別な作家になっていたのだろう。そんなことをぼんやり想像しながら私は読んだ。
時代性が色濃い故に、反感を恐れずに言うなら、今読んでそれほどグッとくるものはない。(ファンからのブーイングが聞こえるようだ)
ネット上のレビューでは賞賛する声も多いが、何となく好きという程度で、心を奪われるほどのインパクトはなかったのではないだろうか。(人の気持ちを見透かしたように言うな、という怒られそうだ)

私だって、60年代に青春時代を過ごしていたなら、ブローティガンの影響をきっともろに受けたことだろう。時代に呼応する作品は、やはりその時代を知らないと半分も熱量を感じ取れない気がする。同時代を生きてこそ、特別な存在になり得る。断言するのはどうかとは思うが、そんな気がした。

私は「東オレゴンの郵便局」を読んだとき、ピーター・ボグダノヴィッチの「ラストショー」を思い出した。時代設定はズレているのかもしれないが、柔らかな憂いや寂寥感、物語性の無い点などに共通性を感じる。ブローティガンのことも、ボグダノヴィッチのことも詳しくないので、的外れな連想をしているだけかもしれないが…

 

今回は、ゆるい記事になってしまったかな。近頃、運動不足なので走りたくなってきた。