『学生の妻』 レイモンド・カーヴァー

1964年に発表された短編で、原題はThe Student’s Wife。カーヴァーは1938年生まれなので、26歳頃に書かれた初期の名篇の一つ。

若い夫婦のある夜の話で、眠れない妻と眠りたい夫のズレが描かれている。お腹が空いた、奇妙な夢を見た、脚が痛いの、もっと話をして…、といった調子でとにかく妻は眠りにつけず、夫をつつき続ける。はじめのうち夫は寛容に振る舞うものの、妻に心から寄り添ってはいない。いい加減にしてほしい、という気持ちが次第に大きくなっていく。

「少しぼくのことを放っておいてくれないかな、ナン」彼はベッドの自分の側にまた寝返りをうって、腕をベッドの外にだらんと垂らした。彼女も体の向きを変えて、彼の体にぴたりとくっついた。
「ねえマイク?」
「まったくもう」と彼は言った。

この短編では、妻が抱える生活への不安や閉塞感が描かれている。夫の耳障りな寝息が聞こえてくるが、妻はどうしても眠ることができずにいる。深夜の暗闇の中でいたたまれない気持ちになり、「眠らせてください」と神に懇願する。こうした二人のコントラストが結婚生活の絶望感を醸し出している。

ちなみに『学生の妻』というタイトルが与えられているが、物語の中で学生であることには触れられていない。大学生時代の著者自身の結婚生活(最初の妻との)をベースにした短編なのだろうが、この二人が昼間はどのような生活を送っているのか、読者には何も知らされない。もしかしたらStudentという言葉に「未熟さ」「幼さ」といった蔑みのニュアンスがあるのかといろいろ調べてみてが、スラング的な使い方は見つからなかった。

この短編は純粋に面白いし、カーヴァーらしい現実的な悲哀も漂う。でも、私の印象としては、ヘミングウェイの『雨の中の猫』に似ていると感じた。猫をほしがる妻とそれに無関心な夫。

「もういい加減にして、何か本でも読めよ」ジョージは言った。彼は読書にもどっていった。
彼の妻は窓の外を眺めていた。日はどっぷりと暮れ、雨がまだパームツリーの上に落ちていた。
「とにかく、猫がほしいわ」

書き過ぎない、飾らない、という骨太な文体はこの二人の作家に共通している。(というかカーヴァーが影響を受けている) 感情の表現に関しては、カーヴァーの方が抑制的に思える。大きく異なるのは物語の舞台だ。カーヴァーは自宅内の日常的なエピソードがほとんどだが、ヘミングウェイは旅先など非日常を描くことが多い。生活苦やアルコール依存などダークな題材を好むカーヴァー作品はどうしても閉塞感が強くなる。華やかさがまるでない。でも、私はカーヴァーの方により人間的な深みを感じ、愛おしさを覚える。世界中を飛び回るヘミングウェイはキラキラ輝いているが、なんというか身軽でイージーな生き方にも思える。(あくまで私の個人的な思いなので異論もあるとは思うが) 私の中には、年齢を重ねるほどにヘミングウェイから離れていく自分がいる。原書でも同じ印象を抱くのか、また改めて記事にしようと思っている。(気が向いたら…)

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