「盗まれた手紙」 エドガー・アラン・ポオ

「盗まれた手紙」の初出はなんと1844年。1844年というと、日本は天保15年。黒船来航が1953年だから、それより9年も前に書かれた作品である。その頃、葛飾北斎はまだ生きていたし、吉田松陰は大人になっていない。

前置きが長くなったが、それほど古い短編小説で、デュパンもの三作品の中でもっとも評価の高い名作らしい。おそらくは推理小説の祖のような歴史的に重要な作品なのだと思う。

ストーリーをものすごく乱暴に説明すると、重要な手紙が邸宅のどこに隠されているかをデュパンという男が見事に推理するという話。(乱暴にもほどがあるだろ)

エドガー・アラン・ポオも、江戸川乱歩も、これまでの人生で一冊も読んだことのない私が、推理小説について何か語れるとはとても思えない。

でも、怒られるのを承知でひとことだけ言わせてもらうなら、「理屈っぽいなぁ」というのが正直な感想だ。(出ました、推理小説の神様が書いた名作をディスる無礼)

まったく知らない世界であるし、批判したいわけではないのだが、難解な数学や心理学や哲学がぎゅうぎゅう詰まっていてややこしく思えてしまった。

例えば

「純粋に論理的な形式以外の特殊な形式でおこなわれる推理には、適用性という点でも、価値という点でも、ぼくは反対だな。数学的研究から引き出される推理には、特に反対する。数学というのは、形式と数量の科学だ。そして数学的な推理なるものは、形式と推量についての観察に対して適用された論理・・・にすぎないんですからね。いわゆる純粋代数学の真理だって、それが抽象的推理ないし一般的真理だと考えるのは大間違いさ」

とか

「たとえばあの慣性の原理は物理学でも形而上学でも同じらしいんだ。物理学では、より大きな物体はより小さな物体より動かしにくい、そしてそれに伴う運動量はこの動かしにくさと比例するというのが真理だ。同様に形而上学では、より優れた理性の持ち主はより劣った知性の持ち主に比べ…」

てな感じで延々とつづく。

難解で知的な話しぶりに中毒性を覚える人もいるだろう。知識人をくすぐる魅力はあると思うので、それを否定するつもりも批判するつもりもない。ただ、徹底的に簡素化された骨太な文体が好きな自分には、ちょっと水が合わない気がした。東大出身の評論家の話を聞いているみたいで、よく理解できない上に、場違いな場所にいるような居心地の悪さを覚えた。私の教養がないだけかもしれないが。

クオリティが高いとか低いとか、古典としての価値云々とかより、馴染めるかどうかの方が大事ではないだろうか。今回はまったく解題になっていなくて申し訳ないです。。。

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