『遺影』ニシダ(ラランド)

『遺影』は、ラランドのニシダ氏による初の短編小説集『不器用で』の中の一篇。ラランドは、M-1グランプリで準決勝まで進出しているお笑いコンビ。私は割とYouTubeを見ているのでどうしてもバイアスがかかってしまうが、できるだけ先入観を取り払ってこの短編の感想を書こうと思う。

ちなみに、こういうチャンネル。

『遺影』は、まったく明るい話ではない。地味な女子へのいじめに加担する男子中学生の一人称で書かれている。「僕」目線で時系列どおりに話が進むため、スムーズに物語が頭に入ってくる。

中学1年の夏休みに、いじめられているアミの遺影を悪ノリで作ることになったユウシ。でも、貧しい家庭に生まれたアミと僕は根っこは同じタイプの人間であり、どこかシンパシーを抱いている。矛盾する気持ちを抱えながらも、流されるようにユウシは遺影づくりをはじめる。というナイーブな話だ。

書き出しはこう。

八月二十九日、金曜日。中学生活初めての夏休みは後三日を残すだけになった。防砂林の脇の国道沿いには潮と排ガスでベタつく海風が吹き抜ける。煮出した紅茶色をした夕日が僕たちの右頬を照らし、同時に顔の上に深い影を作った。ショッピングモールに遊びに行った帰りだった。

物語自体はとても内向的で優しく、芸能界で活躍する芸人のメンタリティとは程遠いという印象を受けた。(良い意味で)

「大事なものがここにあるかも」というのが、私のファーストインプレション。クラスでもっとも目立たない、決して主役にはならない日陰の存在に共感するセンシティブな感性、もうそれ自体で心をつかまれてしまった。読み終えて、短編でなく中編並みの重量も感じた。

作品全体を注意深く読み返してみたが、文章に違和感や過不足を感じる箇所はほとんどなかった。センテンスとセンテンスがリニアにつながっているため、苦労なく読み進められる。基本的に捻ったり捏ねたりしない、端正でカチッとした文体だと思う。この読みやすさは、実直な文体によるものだけでなく、何度も何度も推敲した結果だと思う。(偉そうに分析してスミマセン)

一つだけ言わせてもらえるなら、登場人物たちのセリフに今ひとつリアリティが感じられなかった。ストレートすぎるというか、端的すぎるというか、物語を進めるのためのパーツのようで作りものっぽいというか。文字数の制限などで削った結果なのかもしれないが、今回3度読み返して、セリフの箇所だけ毎回ちょっと不自然さを感じてしまった。

この短編集を手に取る前に絶賛の声を聞いていたのでハードルが上がった状態ではあったが、結果的にはその期待値を超えて心に残る読書となった。「売れっ子タレントが書いた」という枕なしで、他の短編も早く読みたいと思っている。バーナード・マラマッドのように弱者目線で書かれた作品を期待している。

今回は、いろいろ偉そうに書いてしまったが、私のブログを読んでくださっている繊細さんには絶対に響くと思うので、是非手に取ってみてください。

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