「対エスキモー戦争の前夜」 J.D.サリンジャー

「対エスキモー戦争の前夜」 J.D.サリンジャー

ジニーという若い女性に寄った三人称単視点で書かれた短編だ。

いやぁ、それにしても文章がお上手だこと。サリンジャーに対して上手とかいうのもアレだが、のっけからグイグイ引き込まれ、あっという間に読み終えてしまった。以前に読んでいる気もするが、かなり時間が経っていることもあり新鮮に楽しめた。

何気ない会話だけでこれだけの魅力と奥深さを醸成できるとは、流石だと思う。サリンジャーに対して流石とかいうのもこれまた失礼な気がするが。。。いや、流石という褒め方は別に問題ないか…?

まあ、いいか。

なんか文章がグダグダしてきたぞ。

あらすじ:

ジニーが同級生のセレナに、これまで支払ってきたテニス帰りのタクシー代を払って欲しいと求める。セレナは不満気ではあるものの、母親にお金をもらいに行く。ジニーは居間で待つ間、セレナの兄フランクリンや兄の友達と言葉を交わす。セレナがお金を持って居間に戻ったとき、ジニーはもうタクシー代のことなど頭から消えていた。

とくにストーリーのない会話劇である。原題はJust Before the War with the Eskimos。大きな事件は起きないし、驚くようなエンディングもない。エスキモー戦争という言葉も、ちょろっと出てくるだけで説明はない。何を意味しているか全然わからない。

でも、抜群に面白い。とにかく会話が絶妙なのだ。集団から離れた場所で、ひとり静かに人間観察していた。そういう内向的なタイプの人間だけが描ける瑞々しいリアリティを感じる。

ということで、皆さんもぜひ読んでみて。それじゃあ、またね。

 

と、ここで記事を終わらせたいところだが、そこはサリンジャーである。凝り性でお馴染みのサリンジャーである。この短編も例外でなく、深い深いメッセージが練り込まれている(らしい)。

同級生の兄であるフランクリンは、北極探検家のジョン・フランクリンのメタファーなのか?  ジニーの気持ちを無視してサンドイッチを渡すのはキリスト教批判なのか?  そもそも対エスキモー戦争って何なんだ?  てな具合で?????????だらけなのである。

普通に読む分には、とくに違和感なくスムースに読める。若い女性の心の移り変わりを描いたチャーミングな小品と見ることもできる。でも、ひとたび細部の意味を考え出すと、何もかもが謎解きのヒントに思えてくる。迷宮に足を踏み入れ、出口がわからなくなり、頭痛に襲われるのだ。

謎解き嫌いとしては、今回も「思考放棄」を閣議決定致しました。

なんていうかさ、もし考え抜いて謎が解けたとしてもだよ、「ああ、そういうことか」って腑に落ちるだけの話でしょ。「謎が解けたことで人生観が劇的に変わった!」とか「感動で涙が止まらない」とはならないと思う。もちろん、ある程度の読解は必要とは思う。でも、それ以上に主観的印象の方がより大事ではないだろうか。うまく説明できないが、理屈より印象の方が心に永く残り、じわりと人生に影響する気がするのだ。なんだか言い訳を書いている気がしてきた…

この短編を読んでいて、内向的な作家だけが到達できる領域があると感じた。社交的な人やあまり推敲しない腕っ節の強いタイプの作家は、どうしても表現に粗さが出てしまう。乱暴というか、雑というか。それが見えると、「きっと短時間でパッパッと書き上げただろうな」と私などは醒めてしまう。サリンジャーは何百回も推敲していたに違いない。だから何度再読しても色褪せないのだと思う。