「アルプスの牧歌」 アーネスト・ヘミングウェイ

「アルプスの牧歌」 アーネスト・ヘミングウェイ

著者が20代後半に書いた雪山を舞台にした物語で、自伝的色合いが強いとされるニック・アダムズものの一つ。ストーリーは書かないが、知性の乏しい粗暴な男にニックが少なからずショックを受けるという話だ。根拠はないが、おそらくは実話を下敷きにしていると思われる。

原題は、An Alpine Idyll。Idyllをあえて「牧歌」と訳しているが、普通に「情景」の方が原題のニュアンスに近い気がするがどうだろう。

スキーに飽きて旅荘でビールを飲む二人の会話がつづられているのだが、どこか鼻持ちならない若者という印象を私は受けた。後半は地元の農夫のグロテスクなエピソードが書かれており、全編を通してあまり気持ちの良い読書とは言えない。

それでもヘミングウェイの小説にはある種の清涼感が漂っている。著者が知る事実をありのまま描こうとするジャーナリスティックな感性により味付けは最小限に抑えられ、世に溢れかえっている文学がまとっている嘘っぽさがまるでない。

もちろん、ヘミングウェイの小説も作り話ではある。著者の主観で書かれているわけだし、事実と異なることも多いはずだ。つまり、実話だからというより、ルポタージュのような文体だから、リアルが持つ清潔感や透明感を醸成できているのではないだろうか。(わかりにくくなってきたね)

「ごく早朝でも、谷に降りてくると暑かった。ぼくらのかついでいたスキーの雪は陽光に溶かされ、板も乾いてしまった。谷間は春だったが、陽光はかなり暑かった。ぼくらはスキーとザックを背負って、ガルチュアに通じる道を歩いていた」

これは「アルプスの牧歌」の冒頭の文章で、どうということのない描写だが、高精細な絵が頭の中に浮かび、五感を覚醒させられるような力を覚える。勘違いしたくないのは、大自然を描いているから美しいわけではない。アウトドアかインドアといったことではなく、駅の待合室でも食堂でも病院でも戦場でも、どこが舞台でもジャーナリスティックに書くことはできる。

私が日本の純文学を読まない(読めない)理由もそこにある。

「耳の奥のどこかで、あるいは心の奥の“光がまるで届かない場所”から、「その男を信じてはだめ」という声が聴こえた。それは幻聴かもしれないけれど、今の私には何が現実なのか非現実なのか判断できない。考えてみれば、絶対の現実など誰が確信できるというのだろう。その内なる叫びは、目の前に座る男の「これ美味しいよ」という甘い囁きにかき消された。窓の外の紅い椿が、私の幼さを嗤っている気がした。」

私が30秒で適当に作った文章なので実在する小説ではないが、書いていてゲーしそうになった。ヘミングウェイよりこっちの方が好き、という方は私と感性が合わないと思う。

ヘミングウェイの人間性については、このブログで割と辛辣に書いてきたが、徳のある人物とはお世辞にも言えない。一言でいうなら、薄情な男だ。なんらかの精神障害の可能性もあるので決めつけは危険だが、人柄についてあまり良い評判を聞かない。でも、作品は確かに気持ち良い。性格に難があるが、腕は良いコックみたいなものだ。そういうレストランがあったら行くでしょ?料理を愉しむのが目的なのだから。

ふと思ったが、最近ヘミングウェイの悪口が多過ぎるかもしれない。ネガティブな思考は癖になるので気をつけないといけないね。。。

とってつけたようでなんだが、やっぱりこの作家は巧いと思う。余計な言葉を丁寧に削ぎ落とし、とても良質に仕上げられている。推敲を重ねた結果なのかな、おそらくそうでしょう。次から次に新作を出す作家がいるけど、そういう人の作品は大抵雑味が多い。完成度を高めるのにはどうしても時間が掛かるから、量産には向かない。ヘミングウェイは寡作だし、サリンジャーもカポーティも然りだ。

粗悪な長編を100冊読むより、良質な短編を一篇読む方が心の財産になる。そう思いません?

われらの時代・男だけの世界 (新潮文庫―ヘミングウェイ全短編)