ペーター・シュタムは1963年生まれのスイス人作家で、『誰もいないホテルで』は新潮クレスト・ブックスから2016年に刊行された短編集の表題作。
主人公である「ぼく」は、ゴーリキーについての論文を完成させるため、執筆に集中できる静かな山の上のホテルにしばらく泊まることにした。そこで謎めいた女性に迎えられる。ホテルのスタッフは彼女だけ。自分以外に他に客はいない。信じられないことに、このホテルには電気が通っておらず、水道さえ使えない。どこかギクシャクした奇妙な距離感の二人。朝の食堂で「ぼく」が軽い気持ちで彼女の髪をさっと撫でてしまう。彼女は暗い目で「ぼく」を見て、どこかに姿を消してしまった。
というストーリーだ。謎の女性は謎のままで終わる。
孤独でもの悲しい読後感が残った。この短編集の紹介文には「湖と丘陵の土地に暮らす人々に訪れる、日常を揺るがす出来事。研ぎ澄まされた文章、巧みな構成、温かな眼差し。世界で愛読されるスイス人作家による10の物語。」と書かれているが、そこから想起されるイメージよりもっと穏やかで静かな印象を受けた。
現代人の生活はやたら情報過多で映像や音で溢れ返っている。それら多くは、自ら探し求めて得たものでなく、暇つぶし目的の低俗な情報だ。そうした喧騒から遠く離れた場所にある静けさの中で得られる「生きる実感」。誰もいないホテルでの「ぼく」の時間が、読者の胸に沁みてくる。それと同時に、どう生きるべきかについても考えさせられる。
文体に関してはちょっと線が細いかなと感じたが、それはあくまで好みの問題で、この短編のムードにハマる人は少なくないという気がする。
スマホばかり見て情報を得たつもりになっても、深いところでは何も得ていない。さっき見た動画のことさえほとんど思い出せない。スマホを置いて出かけよう。そんな気持ちにさせられる一遍だった。