「高く昇って一点へ」 フラナリー・オコナー

「高く昇って一点へ」 フラナリー・オコナー

フラナリー・オコナーの小説を形容するとき、「グロテスク」という言葉がよく使われる。暴力や殺人の生々しい描写だけでなく、南部ゴシックの特徴とも言える「独善的な人間たちへの憎悪」が作品から滲み出ているためだろう。形式に隷属する狭量な大人たちの言動に苛立ちながらも、同じ町で、同じ家で一緒に生きていかなければならない。そうしたジレンマがベースにある。

個人的には、宗教・地域・人種を切り口にオコナーを語ることにどこか違和感を覚える。人間の本性を露わにする深い洞察。物語を紡ぐ巧みなテクニック。推敲の果ての高い完成度。それらで読み手を圧倒してくる、とても普遍的な作品を書く作家だと思うので。

誤解を恐れずにさらに言うなら、オコナーがアメリカ南部のジョージア州という土地に生まれたこと、カトリック信者として育ったこと、人種差別の激しい時代に生きたこと、そうした捉え方にあまり縛られない方が良いのではないだろうか。当の本人もインタビューで、「南部」について書いているのではなく「人間」について書いている、と語っている。紋切り型のラベリングに不満があったのかもしれない。

「高く昇って一点へ」(原題:Everything That Rises Must Converge)は、1963年にO. ヘンリー賞受賞した名篇だ。大卒で作家志望の息子が、YWCAの減量クラスへ送るため母親に付き添ってバスに乗る。車内で黒人への差別を匂わす母親に辟易し、息子は反抗的な態度をとる。動揺した母親に異変が生じ、抜け殻のようになってしまう・・・、といったストーリーだ。

粗筋からもわかる通り、気持ちの良い話ではない。見たくないものを見せられる感じで、爽やかさはゼロだ。ただ、ジメジメ陰湿というのとも違っていて、どこか潔く、どこか喜劇的でもある。三人称で書かれており、文体が男性的で硬いためだろうか。(訳文の印象ではあるが)

なんだか、まとまりのない記事になってしまった。自分の中でまだ消化できていないのだと思う。勉強不足もある。。。(自信喪失&自己嫌悪)

オコナー短編集 (新潮文庫 オ 7-1)