「ゼラニウム」は、著者がアイオワ州立大学の大学院で修士論文として提出した作品だ。21歳でこれを書いたというのだから愕然としてしまう。黒人差別や親子間のズレといったその後の作品に通じるテーマをすでに扱っている。見たくないものを直視し、ありのまま描き出すたくましさと潔さもこの歳で備えていることがわかる。
年老いた男ダッドリーは、娘の提案で故郷を離れニューヨークに同居することになった。ダッドリーは大都会の暮らしに嫌悪感を抱き、自然に溢れた田舎暮らしを思い出してばかりいる。白人に雇われていない黒人が周りにいることも受け入れられない。娘は「子として果たすべき責任」を果たしたことにより、結果的に親子間の隔たりが露わになる。
こういった田舎育ちの老人の心情を描いた短編だ。三人称で書かれているが、地の文にタッドリーの気持ちを溶かしてあり、一人称に近い印象を受ける。といっても、タッドリーに同化できるような書き方ではない。老人の頑固さ、黒人への差別意識、批判的な態度などが、読み手をウンザリさせるためだ。
オコナーの小説には、こうした頭の固い親たちがよく登場する。多様性を受け入れることのできない、自分こそが正しいと心から信じる厄介な老人たちである。普通であれば、不快に感じることを書きたくないものだが、オコナーは直視して正面から書くことを選ぶ。このあたりは、南部の閉塞感やオコナー自身が育った家庭環境が影響しているのかもしれない。書かずにいられない恨みに近い感情がある気がするが、どうなのだろう。(伝記などを読めば、そのあたりがわかるのかもしれない)
他の多くの短編にも言えるが、この作品に明確な結論やメッセージがあるわけではない。都会は殺伐として人間らしく生きられない場所だ、といいう解釈もあると思うが、私にはそう思えない。この老人にも大いに問題があるからだ。
オコナーはしんどい思いをしてでも、目を背けたいような醜い現実をそのままリアルに描きだす。それだけのことだが、それが凄いことなのだと思う。娯楽性はないし、気持ちの良い話でもない。でも読み応えがあり、強烈に心に刻まれ、読者の中の何かを変えてしまう。そういう逆らえない力を感じる。(抽象的な表現ですみません)
読みたいかどうかではなく、読まないといけない。とにかく読んでほしい。
そこまで推したくなる作家は、オコナーだけかもしれない。