「陰の季節」 横山秀夫

このブログで取り上げてきた他の作品とは毛色が異なるが、今回は警察小説で知られる横山秀夫について書きたい。ミランダ・ジュライ、村上春樹の後に横山秀夫というのは、守備範囲が広いと我ながら思ったりする。

今回、著者の小説を初めて手に取った訳ではない。数年前に、鉄筋コンクリートと呼ばれる硬質な文体に惹かれて松本清張の小説を20冊ほど一気読みした後、その流れで似た文体を持つ横山秀夫の「ルパンの消息」「陰の季節」「第三の時効」「クライマーズ・ハイ」「64」「看守眼」「深追い」「真相」「動機」「臨場」といった作品群を読み漁った。精度と濃度の高い珠玉の作品群を唸りながら堪能した。

「陰の季節」はD県警の人事を担当する二渡警視を主人公とした男臭いサスペンスだ。久しぶりに読み返してみて、著者の筆力の高さと、良し悪しでなく改めてオヤジ色の濃さを感じた。全編に、昭和の匂いが充満している。そして、やはり言葉の選び方が巧い。いちいちピタリと決まっていて気持ちが良い。推敲を何度も重ねた結果とは思うが、亜流の作家たちと一線を画す緩みのない職人技が光っていた。

「陰の季節」は、天下り先のポストに執着する警察OBとその背後にある未解決事件を描いた短編だ。推理サスペンスであるのでストーリーについて詳しく書けないが、組織のしがらみの中でサバイバルしている多くのサラリーマンにとって、急場にもがく二渡の姿は響くものがあるだろう。理不尽な上司とわがままな客との板挟みに苦しみ、悪玉コレステロールや血糖値に気を揉み、住宅ローンと妻の不機嫌にため息をつき、愉しみはブラックコーヒーと月に2回の草野球。そうした不自由なサラリーマンたちの悲哀を、しっかり受け止めてくれるオヤジのための小説という感じだ。俺の仕事も辛いが、二渡の置かれた状況も相当に厳しい。主人公が追い込まれば追い込まれるほど、読者はそれだけ熱くなれる。描写が過剰でやや大袈裟に感じる部分もあるが、ガツンと濃い味付けの方が好まれるのであろう。

横山秀夫は、長編も良いが短編のクオリティがかなり高い作家ではないかと思う。ヘミングウェイもそうだが、一つ一つの文章が濃密なタイプの作家が長編を書くと、言葉の重量のせいでドライブ感が生まれにくい気がする。重みを受け止めながらの長距離走は、読者にとってもくたびれる。長編「クライマーズ・ハイ」は傑作だとは思うが、個人的には「赤い名刺」や「逆転の夏」の方が好みだ。

何かと病気の噂が多い作家で、体調が心配ではある。「64」もなかなか出版されず、半ば諦めていた。無理をして欲しくはないが、濃く重い新作短編が出ることをどうしても期待してしまう。

陰の季節 (文春文庫)

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