遠藤周作の新刊を読めるとは思っていなかった。
「秋のカテドラル」は、2021年10月22日に発売された遠藤周作の初期短編集の表題作。言うまでもないが、著者はすでに他界している。この短編は1955年に「白い人」で芥川賞を受賞した直後に発表された65年以上前の作品である。
淑やかで思慮深い、読書の秋にうってつけの短編だ。冒頭の数行だけで、物憂げなフランスのブールジュへと連れていかれる。
書き出しはこう。
十月二十八日、私は小さなカバンをさげて中仏のブルジェに着いた。霧のような細かい雨がこの黝(くろず)んだ古い街を濡らしていた。駅前の広場も通りも人影はまばらで、葉の落ちた瘤だらけの橡(とちのき)の並木が寒さに震えていた。
どこに泊まる当てもない私はレインコートの襟をたてたまま、しばらく街を歩きまわった。それから街のはずれに出て入口に絵葉書や煙草を売り、壁にはサンザノ酒の広告文字を入れた大きな鏡をはめこんでいるキャフェにはいった。バーテン台では亭主が一人、せっせとコップを磨いていたが東洋人の私を見ると驚いたように手を動かすのをやめた。客のいない卓子のうえにうずくまっていた一匹の猫が私の靴音に驚いて床にとびおりると素早く姿を消してしまった。
物語の舞台はフランスのほぼ中央ヴァル・ロ・ロワール地方にある世界遺産のブールジュ大聖堂。あてもなくフランスを旅する若者が、ステンドグラスに浮かぶイエスをじっと見つめる。感慨をもよおさせる場面がとても印象的だ。
遠藤周作は慶應義塾大学文学部仏文科に進学するほどフランスのカトリック文学に傾倒していた。1948年に大学を卒業すると、さらに知識を深めようとフランスへ留学する。リヨン大学で学び、徒歩でランド地方を旅し、パリでの暮らしも経験した。そして53年に帰国している。
「秋のカテドラル」はその時期の経験を下地にした短編と思われる。若書きではあるが、生涯こだわり続けた「日本人と西洋人のキリスト教への距離感の差異」をすでに主題としている。似た悩みを抱える日本人はほとんどいないと思うが、この短編ひとつ読むだけでも、遠藤周作の鬱ぐ気持ちが伝わってくる。日本人にキリスト教は馴染まないのか?それを考えずにはいられない。どこにいても頭から離れない。本人は悩ましかっただろうが、生涯をかけて本気で取り組める主題を得たことは作家としては幸運だった気もする。
この物語の中で、主人公である日本人の若者が大聖堂のステンドグラスを見てルオーの絵画を思い出す場面がある。個人的な話になるが、私はジョルジュ・ルオーのファンなのでグッとくるものがあった。ルオー・ギャラリーで知られるパナソニック汐留美術館には何度か通った。平日は人も疎らで、ルオーの絵画に囲まれて何十分もひとり過ごしたこともある。今思えばなんとも贅沢な時間だ。
宗教への関心の薄い人でも「秋のカテドラル」の世界に浸れるだろう。それほどに、遠藤周作の作品は人を惹きつける魅力に充ち溢れている。