感想を一言で表すなら、「凄い」しか思いつかない。「巧い」とか「美しい」とか「感動する」といったレベルではなく、圧倒的な凄みに震えてしまうような短編だ。10代後半か20代前半に一度読んでおり筋書きは覚えていたものの、今になって思えば何もわかっていなかった。まるで読めていなかった。やはり、小説は読む時期が大事だ。
咀嚼されることを断固として拒否する名篇などと形容されることの多いオコナー作品だが、「パーカーの背中」には確かに解題などできないほど並外れた力を感じる。本ブログで、これまで「高く昇って一点へ」「善良な田舎者」の記事を投稿しているが、その時も正直言って思うように解題できなかった・・・。(太く硬い骨があり、どうやっても噛み砕けない感じ)
「パーカーの背中」 の原題はParker’s Back。単純で飾り気のない強いタイトルだ。ストーリーについては、ここで要約して書いてもあまり意味がないだろう。一つ一つの文章に命が濃く宿っていて、体験するしか感じ取る方法はない気がする。この短編は(他の短編も)アメリカの南部について書かれたものでも、カトリックについて書かれたものでもなく、人間について書かれた普遍的な物語であるため、まったく異なる時代に、まったく異なる国の人間が読んでも強烈な衝撃を味わうことになる。何にでも「超絶」と付けて大袈裟に伝える人を最近よく見るが、他とは比べものにならないほどズバ抜けて素晴らしい時にしか「超絶」という言葉を使ってはいけない。フラナリー・オコナーがそれだ。
そのオコナーは25歳で難病を患い、39歳で短い生涯を閉じている。なぜ、若い女性にこれほどの作品が書けたのか。その秘密(理由)は、次の本人の言葉の中に見つけることができる。
「小説を書くのは恐ろしい体験であり、書いているあいだに髪はばらばら抜けおち、歯はぼろぼろになる。小説を書くのは現実からの逃避であるといった意味のことを口にする人々に私はいつもひどく腹が立つ。小説を書くことは現実のなかに突入することであって、全身に強烈な衝撃を受ける。」