原題はThe Road Virus Heads North 。キングがたまに出す短編集の一篇で、1999年頃の作品と思われる。(1999年といえば、キングがライトバンにはねられて重傷を負った年)
主人公の作家(キング自身と重なる)が、ローズウッドというこじんまりした街の外れのガレージセールで不気味な絵を購入する。その絵は動いており、絵柄が勝手に変わる。恐怖を覚えた主人公は、サービスエリアの裏にある沼地に捨て去る。しかし、確かに沼に沈んだはずのその絵は自宅の壁に掛けられていた。絵柄は変わり、壮絶な事件が起きたことを伝えている。そして、絵の中の牙を持つ男は、主人公の家へと確実に近づいてきていた・・・
絵の中の男はいわば死神で、主人公にじわじわと迫ってくる設定だ。なぜ、その男が死神になったのか、なぜ主人公を追い掛けてくるのか、といったことの説明はない。(確かなかった) 得体の知れない者が近づいてくる恐怖を堪能するタイプの作品だと思う。
平凡な町で起きる奇妙な出来事を、誰もがイメージしやすいようにわかりやすく描く。この短編はスティーヴン・キングらしい特徴を備えている。トルクフルな文章が、ある種の陽気さと楽しさを誘う。恨みつらみ的な陰湿な話を膨らまさないあたり、パニックスリラーに徹していて単純に心地よい。
「構想は優れた作家にとって無用の長物であり、無能な作家が真っ先に頼る常套手段である。構想に寄りかかった作品は、いかにも不自然で重ったるい」と本人が語っているように、プロットをしっかり組み立てた上で書く作家ではない。一人の人物を窮地にポンと放り込むことで自然と話が動き出す、その成り行きを記録していくような書き方だ。だから、小説全体が生き生きとしている。ホラーであるのに、陽気な躍動感がある。これは稀代の娯楽小説作家に限った話ではなく、ヘミングウェイにしても、フラナリー・オコナーにしても、チャンドラーにしてもおそらく同じだろう。ひらめきにはじまり、物語を制御せず身を委ねるように書き進めていく。主題やプロットについて執拗に語るのは、小説通を気取る輩や研究者たちで、細部について語れば語るほど中心からズレていくことは少なくない。(そうならないよう私も気をつけようと思う) 面白かったのか、感じるものはあったのか、大事なのはその点だ。誰が書いたとか賞を獲っているとか、そういったことも重要ではない。
キングはこうも言っている。
「優れた小説は必ず、物語にはじまって主題に辿り着く。主題にはじまって物語に行き着くことはほとんどない。」
キングの小説が面白い理由がここにあると思う。