スマホゾンビの話

今回は小説ではなく、スマホゾンビについて。
スマホゾンビとは「歩きスマホをする人」を揶揄する呼び方で、無表情でうつむきながら歩く姿が不気味ということから、そう呼ばれるようになったらしい。
先日、都内の地下鉄の駅で、すれ違いざまにタックルを繰り返す若い男を見かけた。その男は私の少し前を歩いていたため、何発もの強烈なタックルを目の当たりにすることとなった。
その男は何に対してタックルをしていたのか?
20代から30代のOLに対して、である。
何のためにタックルしていたのか?
歩きスマホの連中に罰を与えるため、と思われる。
軽く肩が当たるくらいでしょ?
いやいや、練習しているアメフト選手くらい。
当たられた女性たちは怒っていたのでは?
怒るどころか、バランスを失い、立っているのがやっとという感じ。
言うまでもないが、これは違法タックルである。日本には歩きスマホを罰する法律はないが、見知らぬ人へのタックルを罰する法律はある。ホームに落ちて大事故になっていたかもしれない。もし、その場に警官がいたら、暴行罪の現行犯で間違いなく逮捕されていただろう。
しかし・・・
なんでルール守っているこっちが避けなきゃいけないのさ!
マナー違反しているのにシラーっとして、いい大人が恥ずかしくないのか!
オイ、赤ん坊に無関心でスマホを見ている母親!
オイ、パズルやりながら歩いているオバハン!
オイ、ポケモンGoしながら犬の散歩している爺さん!
いい加減にしろよ!! 電柱にぶつかっちまえ!! 逮捕されろ!!
といった感じでムカついている人は少なくない気がする。
私だって、「いいんじゃないの、そのくらい」と笑って流せるほど心に余裕があるわけではない。階段や交差点などでぶつかりそうになると、もちろん不愉快になる。
ただ、タックルしようとは思わない。(そんなの当たり前か。「タックルしようとは思わない」なんて偉そうに言うことじゃないよね)
ただ、なんていうか、以前ほど腹が立たなくなった。
駅などで数えてみるとわかるが、歩きスマホをしている輩は思ったほど多くない。許せねぇと思って歩いているとやたら多く感じられるが、実際は20人に1人くらいではないだろうか。ふとどき者は全体の5%で、残りの95%はまともな感性の持ち主なのである。そう考えると、それほど酷い世の中でもないと思えてくる。学生など若い子たちは仕方ないかなとも思ったりもする。(自分も若い頃は周りが見えてなかったし)
5%かどうかは別として、世の中には狡い人間や利己的な人間が一定数いるものだ。学校や職場にも、人として何か欠落した人が一人くらいいるでしょ。そういう連中はなかなか変わらない。価値観を共有し合うことは難しいと思う。そういう連中を切り捨ててしまえとか、無視すればいいとは思わないが、「残念な人はどこにでも一定数いるものだ」と思うことで少し溜飲は下がる。
私はスマホゾンビにはなりたくない。そして、それ以上にタックルをしたくない。それは非社会性に対して反社会性で反応しているだけで、自ら崖に飛び込むような行為だと思うから。
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