電車で見掛けた〇〇な男

あまり他人のことを悪く言いたくないのだが、溜め込みたくないので書こうと思う。
移動中のJRの車内、目の前には50代と思われるスーツの男が座っている。恰幅が良く、管理職に見える。その中年男性は両手でゲーム機を強く握り、必死に何かと闘っている。こちらから画面は見えないが、おそらく相手はモンスターだろう。(麻雀ゲームをしている動きではない) 冬だというのにうっすら汗までかいている。力みすぎて肩が小刻みに揺れている。隣の30代の女性が怪訝そうに横目で睨む。でも、そんなことにはお構いなし。闘いの合間にはガサゴソと鞄をいじりまわし、とにかく落ち着きがない。その男はあわてて立ち上がり電車から降りた。両手にゲーム機を持ったまま、立っている人たちにぶつかりながら。
もう一人、40〜50代の中年男性が車内にいた。アウトドア系のファッションで、成功している自営業者という風貌だ。髪を後ろで結いている。男は優先席に当たり前のように座っている。そしてスマホで電話をしている。コソコソと話しているが、切るつもりがないようだ。もう一方の手には缶ビール。(まだ外は明るい時間) グビグビ、ペチャクチャ、グビグビ、ペチャクチャ、グビグビ、ペチャクチャ…
この男たちは罪を犯しているわけではない。「優先席で飲酒しながら電話をしたら死刑」という法律は今の日本にはない。
私は、この男たちの「損得」についてスターバックスに入り、少し考えてみることにした。(暇すぎと思ったでしょ。いやいや、忙しいときほどこういうことが気になるものだ)
この男たちが得ているものは何だろう?
それは、「好きなときに、好きなことを、好きなようにやる」に尽きるだろう。我慢せず、周囲を気遣うことなく、好きなことに没頭する。そりゃあ、ラクちんで楽しかろう。職場でも、家でも、許す限り自分の好きなことをして過ごしているはずだ。一見すると幸せな生き方にも思える。
では、この男たちが得られないものは何だろうか?
誰も見てなくても品位ある行動する、そうした人間だけが持ち得る矜持を得られない。
それともう一つ、他人からリスペクトされない。
こうしたことは当の本人にはどうでもいいことだろう。痛くも痒くもないはずだ。まあ、生き方は人それぞれなので、他人がとやかく言うことではない。
宮崎駿が次のようなことを言っている。
「要するに、この世界は不条理だということ。悪いことをしても天罰が下るわけではなく、良いことをしてもお褒めにあずかるわけではない。じゃあ何が違ってくるかというと、顔が違ってくる。豚の顔になるのか、少しはましな顔になるのか。」
豚に罪はないけど、とても心に響く言葉だ。欲望を満たすことより、矜持を抱くことの方が大切、と私は思う。
なんだか無性にレイモンド・チャンドラーが読みたくなってきたので、今回はここまで。
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