ヘミングウェイの小説は退屈か?

ヘミングウェイの小説は退屈か?

【問題】これは誰の言葉でしょうか?

「人々を退屈させるのは罪だ。何か大切なことを言いたいのなら、それをチョコレートにくるみなさい。」

すぐに答えられた方は、かなりの映画通かと思う。

答えは、「アパートの鍵貸します」「お熱いのがお好き」「翼よ!あれがパリの灯だ」などの作品で知られる映画監督のビリー・ワイルダー。「私は芸術映画を作らない。映画を撮るだけ」という言葉通り、観客を楽しませることに徹した名監督だ。(三谷幸喜氏などワイルダーの信奉者は多い)

「人々を退屈させるのは罪」この言葉にはとても共感を覚える。観客への気遣いにあふれた優しい言葉だと思う。これは映画に限った話ではなく、小説でも同じことが言えるのではないだろうか。読書中に、退屈と感じることはよくある。誰にでもあるだろう。自分の読解力や想像力が貧しいのだろうか、もう少し先まで読めば盛り上がってくるかもしれない、何事も途中で投げ出したくない・・・などと思いつつ我慢の読書を続けるものの、最後まで波がやって来ないことがある。思わず「時間を返せ!」と叫びたくなると同時に、この作家はどれだけ自分が偉いと思っているのか、金と時間を使っている読者を退屈させて平気なのかと、神経を疑ってしまう。

で、ヘミングウェイの小説はどうなのか。ネット上のレビューを見ていると、「最後までつまらなかった」「どこが面白いのかわからない」という声が少なくない。私にとっては一行一行これほど愉しめる作家は他にいないが、退屈と感じている人も意外と多いようだ。

なぜ、評価が分かれるのだろう?

答えになっていないかもしれないが、私にとって「退屈」の反対は、「超絶面白い」「めっちゃ泣ける」「マジ笑える」といった派手なものはなく、「心地好い」「落ち着く」なのだ。ワイルダーの言葉を自己流に解釈するなら、「チョコレートにくるみなさい」というのは、悪質な素材と添加物で作ったキャッチーな美味しさや、ファンシーなデザインで目を引くスナックの類のチョコではなく、ファイン・カカオを使用した自然が生み出す甘みを堪能させてくれる高級チョコレートのことなのだ。

変な言い方になるが、超絶面白い小説は、大抵は退屈だ。なんというか、作為的で嘘っぽかったり、過剰さで関心を引こうとしたり、はしゃぎすぎであったり、どうも興醒めしてしまう。

ちょっと値段は張るけれど、高級なチョコレートが食べたくなってきたでしょ?