五輪 開会式・閉会式に思ったこと

五輪 開会式・閉会式に思ったこと

オリンピックを観ていて、疑問に感じることがあった。

言うまでもないが、オリンピックの競技・種目はかなり多い。今回のTOKYO五輪は33競技・339種目。武道をのぞけば、ほとんどが外国で誕生した競技だ。気候も人種も文化も異なる異国のスポーツであっても、日本人選手たちはそこに溶け込み、堂々と渡り合っていた。「似合わないことをしているな」と違和感を覚えることは一度もなかった。

それに対して、開会式・閉会式のパフォーマンスは、近年の他国のオリンピックと比べて見劣りするものに思えた。賛否両論と報じているメディアもあるので決めつけるのは良くないが、私が見る限り、ネット上は「とにかくショボすぎる」「恥ずかして見ていられない」「哲学がなくて意味不明」など辛辣なコメントで溢れかえっていた。

この差は何だろう?

「和の伝統を軽んじる姿勢がダメなんだ!」「中途半端に異文化を取り入れるから劣化版になるんだ!」といった声が多かったように思う。オリンピックだからお国柄を前面に打ち出すべき、歴史的文脈こそ重要なのだという理屈はよくわかる。よくわかるのだが、和の伝統文化を演目にすべきというのと、ポップカルチャーなどを取り入れるとショボくなるというのはイコールではなく、別の議論ではないだろうか。

ややこしくなってきたね。伝わっているか自信がない…。

つまり、「どっかの国の猿真似はみっともないよ、日本人は日本人らしく」という理屈なら、海外のスポーツを日本人選手がやると情けなく映るはずだ。日本人は武道以外では輝けないことになってしまう。

でも、実際はそうなっていない。スケートボードにして、陸上にしても、ボルダリングにしても、日本人選手はまったくショボくなかった。敗れてはしまったが、バドミントンの桃田選手など世界で最も華のある選手に思えた。

日本人選手は魅力的で力強いのに、なぜ開会・閉会式のパフォーマンスにはがっかりさせられたのか?なぜ「似合わないことをしているなぁ」と目を伏せたくなったのか?

皆さん、どう思います?

これは私の個人的な見方だが、開会式・閉会式の敗因は準備不足に尽きると思う。

当たり前のつまらない意見と映るかもしれないが、熱量と時間を費やして企画を練り、吐くまで練習し、検証と改善を繰り返す。その先にしか人を魅了するパフォーマンスは生まれてこないと思う。もし和太鼓を披露していたとしても、準備が不十分なら貧相なものとなり、伝統文化を汚したと叩かれていたに違いない。付け焼き刃の出し物に哲学など感じられないだろうし、日本国民が誇らしげな気持ちになることもなかっただろう。

伝統か前衛か、保守か革新か、日本か世界かということではなく、しっかり作り込んだか間に合わせなのか、そこが問題の核心だと私は思う。伝統文化を軽んじたからダメなのではなく、準備不足では何をやってもダメなのだ。

そのことを身をもって知っている一流のアーティストたちは当然ながら皆降りてしまった。叩かれている演者や技術スタッフはある意味で被害者とも言える。元凶は、正しく道筋をつけられなかった政治家や利権を貪る連中だ。皮肉なことに、大事なことをまったくImagineできていない。

この2年間、コロナと五輪でいくつもの闇が露呈した。落ちるところまで落ちたと、加速主義者たちの歓喜の声が聞こえてきそうだ。

今の日本が暗いのは夜明け前だから、期待を込めてそう思うことにしよう。

いつになく真面目な記事を書いたせいで脳がクタクタだ。。。