自然との共生は素晴らしいけれど…

近頃、人里離れた山の中で自然と共生する人や家族を追ったTV番組が増えている。コロナの影響もあり、田舎暮らしや自給自足への関心と願望が大きくなっているのだろう。
鬱蒼とした土地を切り拓いて田畑にし、野山を歩き山菜を採り、湧き水をパイプで引き込み、何羽もの鶏を飼い、誰の手も借りず小屋を建てる。スマホやらインターネットではなく、雄大な自然や満天の星空を眺める。煩わしい人間関係とも無縁の暮らし。そりゃ、誰もが憧れを抱くだろう。
番組に取り上げられる人たちはとても行動力があり、お金をかけず豊かに生きる知恵を持っている。そして、彼らにはそこへ至るまでの人生のドラマがある。価値観を共有できる女性と出会えたことで一念発起して会社を辞めたとか。過疎化した故郷を再生するために家族と離れて暮らす道を選んだとか。そうした心を打つ物語を持っている。
基本的に、とても真面目で勤勉な人たちだ。
でもね。。。
うーん、なぜろう、どこかでこうしたドキュメンタリー番組に違和感を覚える。
捻くれ者であることは自覚しているが、なんというか私の中のFBI的なセンサーが「違和感」のアラートを出してくるのだ。
良い面ばかりを見せつけられ、「嘘つけ!」という疑念が湧いているのか?
非の打ちどころのない立派な生き方に嫉妬しているのか?
上手く言えないが、自然と共生する人はピュアな善人で都会に暮らす人は大切なものを持たぬ凡人のような文脈で語られることがしっくりこないのかもしれない。
そうしたステレオタイプな二極化はわかりやすいが、実際の世の中はもっと複雑で多面的ではないだろうか。物事はさまざまな要素が組み合わさって成立している。自然の素晴らしさを否定はしないが、自然を愛する人が徳の高い人であるかは別の話だ。(どんどん話が面倒臭くなってきている)
理屈っぽいと呆れられそうだが、私は自分の中のFBI的なセンサーを信頼しており、それに従ってジャッジしている。頭でっかちに理屈をこねているつもりはなく、とても単純明快だと思っている。
そういえば、以前にふらっと教会に入り、神父の講話を聞いたことがある。話の中身は実に道徳的で立派だったが、「この人は悪い人だ」というFBI的なセンサーが私の中で働いた。居丈高にものを言う態度に、直感的に嫌悪感を抱いたのだ。一面だけ見て、わかったような気になってはいけない。FBI的なセンサーをよく働かせて見ないと、物事を見誤ってしまう危険がある。
話がよくわからなくなってきた。。。
ただFBI的なセンサーって言いたかっただけじゃないかって?
そういう鋭いことを言わないように。これからまだ仕事があるので今日はここまで。
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