長編小説が大嫌い。

短編小説に特化したブログをはじめた理由は、「短編小説が好きだから」である。なんと単純でわかりやすい。
振り返れば、子供の頃からショートショートや曲の歌詞など、とにかく短い文章が好きだった。(中学生の頃の愛読書は、宝石のような短い文がいっぱい詰まった「カーネギー名言集」)
活字はかなり好きだったが、読書好きかと訊かれると、自信をもって「ハイ!」とは答えられない。なぜなら、長編小説があまり好きではないからだ。(長編こそが小説の王道みたいな空気があるでしょ) 今も、特定の作家以外は積極的に長編を読みたいとは思わない。
これまで、長編が読めないのは堪え性がないせいと自分を責めてきたが、「内向型人間の教科書」というサイトを見ていて、それが間違っていることに気付いた。
内向型の人は、刺激への感度が高いため、少しの刺激にも敏感に反応する。長編小説は情報の量が多いため、内向型人間にとっては刺激過多で苦痛に感じられる。マルチタスク(複数の事柄を同時に処理・実行すること)として脳への負担になるのだ。私がヘミングウェイの短編を好きな理由は、それがすっきり整頓されたシングルタスクであるためだ。
前述のサイトには、「外向的な人が正しい」とみなされる世の中で、内向的な人は普通に暮らしているだけで刺激過多に陥ると書かれている。内向的な自分に適した刺激の量を知ることで幸せに生きられるとも。
長編こそが小説の醍醐味、という価値観が世にはびこっているせいで、これまで苦しめられてきた。これからは、長編という雑然としたカオスのようなマルチタスクを棄て、短編という整然としたシングルタスクを大いに満喫しようと改めて思っている。大袈裟に聞こえるかもしれないが、自分にとっては重要な問題なので記事にした。
なんだか元気が出てきたので、暑いけどこれから走りに行ってきます。