お洒落さんにウンザリ、という話。

自称お洒落さんは、この記事を読まないでほしい。毒を吐きまくっているので。
今回は、ファッションの話を少ししようと思う。といっても、私はお洒落に興味がない。服選びの基準は「浮かないこと」であり、笑われたり、怒られたり、呆れられたりしないことが優先される。
大企業でプレゼンするのにパジャマみたいなタラタラの服で行ったら居心地が悪いし、それ以前に会議室に入れてもらえない。顧客や代理店の営業マンを怒らせ、二度と仕事も来なくなるだろう。
逆に河原でのBBQにスーツで行けば、完全に引かれてしまう。ていうか、怖い。法的には、スーツで肉を焼く自由を我々は有しているが、そんな場違いは誰のことも楽しくしないだろう。
「浮かないこと」が最優先などと書くと、オヤジくさい発想と思うかもしれないが、世の中高年男性はだいたいそんなものだと思う。浮いても平気なKYオヤジも結構いるのだから、それに比べればTPOに気を使うだけマシというものだ。(下を見て自己肯定する悪い癖が出た)
私の周りに、いつもバッチリ決めているブランド指向の中年男性がいる。服はもちろん、靴にも、髪にも時間とお金をかけている。いつも素敵なダンディさんだ。(軽蔑している感じが出てしまった)
そういう男が女性にどう映っているかはわからないが、同性からすれば「いい歳して自己主張して気持ち悪いな」としか思わない。「いつも決まっていて流石、同じ男として憧れるわ」などとは微塵も思わない。社交辞令で褒めていても、「外見ばかりに気にして薄っぺらい奴だな、コイツ」と内心は嫌悪している。ちょっと辛辣な表現になってしまったが、打ち合わせにアロハシャツで来る奴と比べたらずっと良いとは思う。
ファッションというのは自己顕示欲の顕れなので、さり気なさが無いとどうしても嫌悪感を生じさせてしまう。
昨日、都内を歩いている時、交差点で黄色のスーパーカー(1千万以上しそうな欧州車)が信号待ちをしていた。ウィンドウを全開にし、ガンガン音楽を流し、大きなグラサンをし、周囲の視線を集めていた。ドライバーは「自分に見惚れている」「羨望の的になっている」としたり顔に見えたが、歩行者のほとんどは嘲笑していたと思う。私も、1千万かけて人に笑われるって哀れだなぁとぼんやり考えていた。
両手にブランドの大きな紙袋を抱えて歩く女性もよく見かけるが、おそらく本人は「セレブ気分」に酔っているのだろう。まともな大人たちから見れば、中身の無いお馬鹿さんと映っているはずだ。
オブラートに包まない毒舌になってしまったが、皆さんも同じように感じているでしょ。
作家の開高健は、「文章は形容詞から腐っていく」といった名言を遺している。見事な表現だと思う。私は形容詞が多い作家が苦手だ。ヘミングウェイが好きなのも、形容詞を削ぎ落とした文体によるところが大きい。
お洒落は、形容詞にとてもよく似ている。
グーグルアナリティクスによると、このブログの訪問者の約半数は女性らしい。正確には45%くらい。正直、ほとんど男性と思っていたのでこの数字には驚いた。お洒落な記事は今後も書かない(書けない)ので、寛容さをもって「海外短編小説 解題」(別名:中年男毒舌浮言ブログ)をこれからも読んでいただけると嬉しい。。。
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