「蝶々と戦車」 アーネスト・ヘミングウェイ

この短編を読むにあたって、1936年に勃発したスペイン内戦のことを少し予備知識として持っておいた方がよい。

「小説を読むのにいちいち歴史の勉強をする必要などないだろう、理屈抜きに感じることが大切なんだから。お前のブログは細かいことが多くて面倒臭いよ」

そういう意見もあるだろうが、ヘミングウェイ文学の特徴は、細かな説明を省いたシンプルな表現にあり、読者が想像を膨らますために多少の知識が要る。特に戦争を下敷きにした作品は、時代の空気をイメージできる否かでその面白さが大きく違ってくる。

「蝶々と戦車」は1937年にマドリードの酒場チコーテで実際に起きた出来事をベースにしており、小説家の「私」による一人称で書かれている。ヘミングウェイは共和党支持の立場(とは言ってもイデオロギーというより反ファシズムがベース)で深くコミットしていた。小説の舞台となる37年のマドリードは、既に反乱軍に包囲され陥落目前というストレスフルな状況。共和党側(反ファシズム側)にとっては苛立ちはピークを迎え、同時に疲労や失意、物資の欠乏もあった。「蝶々と戦車」 は、そうした混沌の中で起きた酒場での殺人事件を描いている。

ホテルへ帰る途中、雨に嫌気がさし「私」は酒場チコーテに立ち寄る。共和党支持者やジャーナリストたちで混み合う店内。苛立ちと喧騒の中、酔っておどけまわっていた民間人(家具職人)がウエイターを水鉄砲で打ちはじめる。三人の制服姿の男が拳によって制止するが、それでも悪ふざけをやめない。今度は大勢の男たちが彼を押さえ込み、一発の銃声が鳴り響く。警官が駆けつけ、ライフルを持って戸口に立つ。その間を突き抜け、六人の男が戸外へ飛び出していく。警官は追わなかった。翌日の昼、客の少ないチコーテで支配人はこう「私」に言う。「彼の陽気さが、戦争の深刻さとぶつかったんです。さながら蝶々みたいに」

スペイン内戦は、さまざまな党派が入り乱れた複雑な戦争であったようだ。共和国側も一枚岩でなく、対立や衝突が絶えない状況だった。内戦時期に8ヶ月もの長期にわたりスペインに滞在したヘミングウェイが、制服の男たちに何を重ねていたのか。戸外へ飛び出した男たちを警官が追わない、その理不尽さ。このあたりをどう解釈するかは難しい。ファシズムに抗うという気持ちがベースにあったことは間違いないだろうが、この印象的な光景や空気感をただありのままに作品に残したかっただけかもしれない。個人的にこの短編の中で最も心に残ったのは、次の「私」の言葉だ。

「これはとてもいい短編になりそうだから、いつか書いてみるよ。あの六人が一列縦隊で外に飛び出していったところなんぞは、実に印象的だったからね」

蝶々と戦車・何を見ても何かを思いだす―ヘミングウェイ全短編〈3〉 (新潮文庫)

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