「橋のたもとの老人」 アーネスト・ヘミングウェイ

「橋のたもとの老人」(原題:Old Man at the Bridge)は、文庫でわずか4ページ程度の掌編で数分で読み終えてしまうほどに短い。書かれたのは1938年。ヘミングウェイがスペイン内戦の実態をアメリカ国民に知らせるべくドキュメンタリー映画「スペインの大地」(ナレーションもヘミングウェイが担当)の製作に取り組んでいた時期の作品だ。通算8ヶ月という長期に渡ってスペインに滞在し、36年に勃発した内戦を追いかけている。

39年初頭にバルセロナが陥落したことで事実上内戦が終わると、ヘミングウェイはキューバに戻り、執筆活動に注力する。ジョン・スタインベックが絶賛した「蝶々と戦車」もこの時期の短編で、他にも38~39年に掛けてスペインでの体験を下敷きにした小説を書いている。ハイライトは長編「誰がために鐘は鳴る」で、43年にゲイリー・クーパーとイングリッド・バーグマンで映画化された。当時のヘミングウェイの妻はマーサ・ゲルボーン。戦時特派員として活躍した筋金入りの行動派女性で、互いの激しい野心が衝突したためか、夫婦生活はわずか5年間で終わりを迎えている。2人の関係は「ヘミングウェイ&ゲルホーン」というテレビ映画になっており、ニコール・キッドマンがマーサを演じている。ヘミングウェイのスペイン内戦関連の作品は、時代背景やマーサの存在を知って読むとまたその味わいが深まると思う。

「橋のたもとの老人」は、内乱の最中での薄汚れた老人と私の会話を描いたスケッチだ。しかし、単なる素描には終わっていない。この短編を、「誰が為に鐘は鳴る」に匹敵すると絶賛する批評家もいるという。

川向こうの味方の拠点を見まわり、敵軍の進み具合を探る任務の私が、橋を渡って引き返す途中で老人を見つける。ここにいる理由を尋ねると、動物の世話をしていて町を出るのがしんがりになってしまったという。そして、置き去りにした動物が気掛かりで仕方ないと話す。私は老人を安全な場所へ移動するよう促すが、ふらついてうまく歩けず尻もちをつく。物憂げな口調で「動物の世話をしてきたんだ」と、もはや誰にでもなく老人は話しかける。私は、もうそれ以上どうすることもできないと感じる。

陰鬱な内戦の風景と山羊や猫や鳩を心配する身寄りの無い老人。このコントラストが作品に立体感を与え、戦争の虚しさをリアルに浮き立たせている。反ファシズムの立場で政府軍を熱心に支援したヘミングウェイだが、ジャーナリストとは異なる作家らしい視点から戦争の実態を描き出している。それまで個人主義であったヘミングウェイが、積極的に戦争にコミットしたのは何故だろうか。スペイン内戦ものを読むとき、そのあたりに考えを巡らせるのも一興という気がする。

この短編を、ミステリーもサプライズもユーモアも色気もない退屈な作品と思うか。あるいは、短いながらも心動かされる名編ととるか。どちらが良い悪いではなく、ヘミングウェイとの相性を測るリトマス試験紙のような短編だ。

蝶々と戦車・何を見ても何かを思いだす―ヘミングウェイ全短編〈3〉 (新潮文庫)

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