「敗れざる者」 アーネスト・ヘミングウェイ

「敗れざる者」(原題:The Undefeated)は、1927年の短編集「男だけの世界」(原題:Men Without Women)の巻頭に置かれている著者入魂の一編だ。

盛りをとうに過ぎた闘牛士が、命懸けで獰猛な雄牛にこれでもかこれでもかと立ち向かっていく。俺はまだ終わってなんかいない、若い奴らに負けないことを今この場で証明してみせる。まさに「敗れざる者」というタイトル通りの熱く切ない話だ。

特に凝ったストーリー展開などはなく、緻密に書き込まれた闘牛シーンにかなりのページを割き、臨場感で読み手を圧倒してくるタイプの作品だ。そこに描かれているのはマッチョな英雄ではない。どんなに惨めで不恰好でも、自ら負けることだけは選ばない不屈の精神であり、とてもヘミングウェイらしい主題に思える。

実際にヘミングウェイがスペインのパンプローナ(牛追い祭りで有名)で観た闘牛の感動をベースにしている短編であり、「知っていることだけを書く」というポリシーはここでもしっかり守られている。カンザスシティ・スターやトロント・スターでの記者時代に鍛えたジャーナリスティックな感性。そして簡素で端的な表現へのこだわりが存分に注入されているといった印象だ。

「敗れざる者」で描かれる「決して屈しない、折れない精神」は、重要なテーマとしてヘミングウェイ作品に頻出する。晩年の「老人と海」と重なる部分も少なくない。

それにしても、20代の若いヘミングウェイが、なぜ盛りを過ぎた闘牛士を描こうと思ったのだろう。健康でハンサムで劣等感とは無縁に思える青年アーネストなら、もっと未来への夢と希望に溢れたフレッシュな話を書けそうなものだが。一説では、当時のヘミングウェイは、雑誌社に送った短編を何度もボツにされ屈辱的な思いを味わっていて、それでも諦めない姿を闘牛士に重ねていたという。確かにそういう面もあったのかもしれないが、個人的にはどこかピンとこない。日本版Esquireのバックナンバーでヘミングウェイの人柄に迫った記事がある。そこには、あまりに繊細で自尊心が強いため、露骨に意地の悪い行動に出たり、その時々の気分のまま奔放に振舞う多面的な人物像が生々しく記録されている。冷たさとやさしさを併せ持つ複雑な男、そんな印象を受ける。

何が言いたいのかというと、ヘミングウェイはその気難しい性格ゆえに人間関係のトラブルが絶えず、人を傷つける言動も多かった。(どうしても言わずにいられない短期な性格だ) そのせいで実際にパリでは四面楚歌で暮らしにくくなり、逃げ出すことになった。生涯を通して、多くの女性や子供たちからも恨まれた。そうした自らの性格への忸怩たる思いや疎外感に押しつぶされぬよう、自己救済として打たれ強いコードヒーローを生み出す必要があったのではないだろうか。ややひねくれた見方なのかもしれないが、切ない読後感の中でふとそんなことを思ったりした。

われらの時代・男だけの世界 (新潮文庫―ヘミングウェイ全短編)

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