「ワイオミングのワイン」 アーネスト・ヘミングウェイ

原題はWine of Wyoming。

この短編の舞台であるワイオミング州がアメリカのどのあたりか言える人は少ないのではないだろうか。

幼稚な説明で申し訳ないが、真ん中よりちょい左上にある。(西部の山岳地帯とか言うよりわかりやすいでしょ)

で、ワイオミング州について何か一つでも知っていることはあるだろうか?

決めつけて申し訳ないが、おそらくないだろう。

実は全米50州の中で最も人口が少ないのが、このワイオミング州だ。
百聞は一見に如かず、ということでワイオミングの風景写真を貼っておく。

なかなかネイチャーな土地でしょ。

この短編が書かれたのは1933年。

アメリカが舞台で、タイトルにワインという言葉があり、1933年と来れば・・・

この時点で「禁酒法」を連想した人はかなり鋭い。

では、禁酒法とは何か?(クイズが多いな)

平たく言えば、アルコールというのは社会の風紀を乱し、健康を損なわせる、つまり諸悪の根源であるとして全面禁止した法律だ。制定されたのは1920年のこと。
でも、結果的には風紀が良くなるどころか、アル・カポネらギャングが密輸や密造で大儲けし、治安は悪化。1933年に廃止された。

「ワイオミングのワイン」では、禁酒法の時代にワイオミングでビールやワインを製造しているフランス系移民夫婦が描かれている。
ドラマチックな出来事は一つも起こらないし、特に印象的なシーンがあるわけでもない。酒を飲みながらの何気ない会話だけで構成されている。

でも、これが実に味わい深いのだ。訳者の高見浩氏は「文学性が乏しい」と見ているようだが、私にはいくつもの隠し味を愉しめる魅力的な一篇だ。禁酒法を通して、宗教差別や人種差別が充満する当時のアメリカの空気を感じることができる。

ヘミングウェイは、若い頃に一人の神父(「カトリックの神父」という言い方をたまに聞くが、神父はカトリック教会にしかいないので何か変な表現に思える。プロテスタントでは牧師。まあ、熱くなるほどのことではないが)と出会って影響を受けている。二人目の妻であるポーリーンと結婚し、プロテスタントからカトリックに改宗し、親族を驚かせた。おそらく猛反対した人間もいたことだろう。
アメリカではカトリックは少数派であり、決して生きやすいとは言えない。現在はカトリックへの嫌悪感はかなり軽減されたが、当時は酷かったようだ。カトリックの大統領がケネディしかいないこともそのひとつの現れだろう。
ヘミングウェイが信心深い人間であったかどうか、私にはよくわからない。以前にヘミングウェイと宗教に関するノンフィクションを読んだが、その時はあまりピンとくるものがなかった。教会で号泣していた、ノーベル文学賞のメダルをコブレの聖母寺に奉納した、といった逸話が残っているが、敬虔と呼べるかは微妙だ。

アメリカにおけるカトリック、移民、酒。ヘミングウェイは隅に追いやられたマイノリティの側に立ち、この短編を書いている。明確なイデオロギーというより、心情に寄り添うという感じだ。

強烈な文体、怒涛の展開、驚愕の結末、そういった派手さを小説に求めている人にこの短編はまるで響かないだろう。
「なんて退屈な話だ!どこが面白いのかさっぱりわからん!」という感想を抱くかもしれない。でも、わかる人にはわかる。練りこまれたアメリカの政治や社会問題云々が重要なのでなく、弱者の側につく心情にフィットできるかがポイントではないかと思う。

ムードや気分に寄った不明瞭さを批判する人もいるだろうが、人の心を動かすのは理屈じゃない。理屈は風が吹けば飛んでしまう。理屈だけじゃないから、強いのだと思う。

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