「TVピープル」 村上春樹

好き嫌いはあるだろうが、私は理屈抜きに楽しめた。おそらく著者自身が楽しみながら書いているのだろうが、読み手を退屈させたくないという気遣いを感じたりもした。読む拷問みたいなエラそーな純文学とは対極にあるし、世界中で読まれているのも当然だと思う。

今の時代、我慢を美徳と考える人は少ないと思うので、退屈な本はすぐに放り出されてしまうだろう。重厚な長編小説も、刺激的な情報が飛び交うネット時代にフィットしなくなってきている気がする。頑張って分厚い長編を読まなくても、何の問題もなく生きていけるわけだし。心から面白くて奥深い短編だけは、もしかしたら生き残れるかもしれない。そういう思いもあって「海外 短編小説解題」というブログを書いてきた。

1989年初出の「TVピープル」は人気の高い短編だ。出だしから春樹ワールド全開という感じで、得体の知れない風変わりな生き物(ピープルだから人間か?)が登場する。読書中、謎めいた状況をどう捉えてよいものか戸惑っていると、いつの間にやら現実と非現実の境界線が曖昧になり、判断力も奪われていく。

どういう筋かというと、ちょっとだけ人間を縮小したようなTVピープルが家や職場にテレビを運び込む。彼らは終始無言で、何が目的なのかさっぱりわからない。しかも、設置されたテレビのスイッチを入れても画面には何も映らない。ある晩、TVピープルが現れ、妻はもう帰らないと告げる。といった不気味な余韻を残す話だ。

TVピープルが何のメタファーであるのかはわからないが、家にも職場にも入り込んでくる悪魔的なもののように描かれている。「鬱」など心の病の隠喩なのだろうか。まるで自信はないが。。。雑誌に掲載された時は「TVピープルの逆襲」というタイトルであったらしい。「逆襲」であるなら、主人公の過去と何か関係があるのか。。。怠惰、妥協、諦念、その支払うべき代償なのか。。。

まあ、今日のところはこの辺にしておこう。(またしても解題からの逃避癖が出た)

この作品は多くの村上春樹作品がそうであるように、「僕」の一人称で書かれている。ただ、途中で読者に何度か「あなた」と語りかけてくる場面がある。例えば、「あなただって僕と同じ立場に置かれたら、たぶんおなじようにしたんじゃないかと思う」といったように。
こうした読者との距離感の詰め方は、自由な感じがしてなんとなく好きだ。

今回はとても浅い解題になってしまったが、大事なのは謎解きではないので(何よりまず感じること)、これくらいで許してほしい。

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

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