「笑い男」 J.D.サリンジャー

「笑い男」 J.D.サリンジャー

いやぁ、メタファーが多い。勝手にそう思っているだけかもしれないが、サリンジャーなのだから、周到に計算された比喩が練り込まれた精巧な短編に違いない。しかも、物語の中に物語が入れ子になっており、構造的にも複雑。何遍も読み返し、謎を解き明かしていくことを愉しむタイプの小説なのだろう。

マニアには格好の研究対象だと思うが、あまり思い入れのない私にとってはハードルが高い。「深掘りしてみようかな、難しそうだからやめとこうかなぁ」とエントランスで気後れしている訪問者の気分になってしまった。

「しのごの言ってないで、さっさと感想を書け」という野次が飛んできそうだが、「笑い男」(原題:The Laughing Man)は、単純に失恋話とも読めるし、9才の少年の成長物語とも読める。インディアンの歴史とも、イエス・キリストの話とも解釈できるかもしれない。

では、主題は何なのか?

それは私にはわからない。大前提として、私の謎解きへの意欲はとても低い。(推理小説もクロースワードパズルも詰将棋もあまり好きでない) 素直な感想としては、団長の失恋話と笑い男の挿話がトーンが異質で、どうにも奇妙なコントラストを感じた。私なら、笑い男の挿話を全部削除して、団長の恋愛話だけに特化させたと思う。それでも充分に面白くなるだろうし、何よりすっきりして読みやすい。物語の肝の部分をカットする馬鹿がどこにいる、と叱られそうだが。。。

読後の感想として面白かったか?と訊かれたら、「まあまあ」という答えになる。俗な理由だが、野球の場面が多くて割と楽しめた。(なんて低レベルな感想だ)

もちろん、意匠を凝らしたセンシティブな描写には、流石に巧いなぁと唸らされた。

実を言うと、私はサリンジャーとそれほど相性が良いわけではない。ちょっと凝り過ぎていて、気楽に読めないと感じることがある。カポーティとは相性が良いが、それでも完成度が高すぎて呼吸が苦しくなる時がある。洗練が苦手なのかもしれない。

内容の浅い私の記事にサリンジャーファンたちは呆れているだろうが、「これは多様な解釈を許容する珠玉の名作である」などとそれっぽく書いたところで意味がないでしょ。このブログを始めて、他の人のレビューを読むようになったが、自分の言葉で書いている感想は、たとえ稚拙な内容であっても力強くて魅力的だ。逆に、立派なことを書いていても誰かの受け売りならペラペラだ。評論家気取りのうすら寒い奴にならないよう、私はこれからも馬鹿みたいに正直に書いていこうと思う。

ちょっと疲れたので、これでお終い。