「船」 アリステア・マクラウド

今回取り上げるのは、「知られざる偉大な作家」と呼ばれているアリステア・マクラウド。聞いたことないなぁと思うかもしれないが、一部の読書好きの間では絶賛されているカナダ人作家だ。読後にすぐ忘れてしまうような暇つぶしと対極にある、静かで渋く、深い読書を約束してくれる。

「船」(原題:The Boat)はマクラウドのデビュー作だが、僅か30ページでも人生や家族を描くことはできる、そう証明しているような重量感のある短編だ。ボストン・グローブ誌は「超一流の腕をもつ辛抱強い名匠の作品」と評している。「船」が発表されたのは1968年で、すでに約半世紀が経っているが古さはない。華のなくて地味と言われることの多い作家だが、地味というよりもとても真面目で、とても愛情深いという印象だ。

漁師である父は、読書家で文化的な一面を持つ人物。対照的に、何事にも融通の利かない頭の固い母。父のだらしなさを忌み嫌い、日々の暮らしに役立たないと読書も全面否定している。母の緩まることのない口撃に辟易する子どもたちにとって、時に父は安らぎをくれる穏やかな理解者であった。やがて姉たちは、母に祝福されない結婚をして都会へと去っていく。末っ子である主人公は、老いてゆく父を眺めつつ、学業と家業との間で揺れる。陰鬱な灰色の海へ、父と共にその年の最後の延縄漁に出かけるが・・・

この短編は、末っ子の回想という形式を採っている。父親は、精神的にも肉体的にも実は漁師には向いていない。「ずっと大学へ行きたいと思っていた」と主人公に本音を語っている。ここが、この短編のもっとも重要で惹かれる部分だ。「漁師という生き方を愛し、命を賭けた」という信念や情熱の話ではないのだ。なんともリアリティがあり、複雑で切ない人間として父親が描かれている。そんな父への思いが書かれた次の文は、自分にとってこの短編のピークだ。

自分本位の夢や好きなことを一生追いつづける人生より、ほんとうはしたくないことをして過ごす人生のほうが、はるかに勇敢だと思った。

本作の作家アリステア・マクラウドは1936年生まれ。「船」の舞台にもなっているカナダのノヴァ・スコシア州ケープ・ブレトン島に10才から移り住み、坑夫や漁師をして学資を稼ぎ、大学で博士号を取った。2000年まで大学教授として英文学を教え、本業の傍ら短編小説を書いていたそうだ。けっして裕福とは言えない坑夫の息子として生まれ、体育会系でもあり、文学好きでもあるというちょっとユニークな個性を持つ。漁業の町に育ったことから、漁師へのシンパシーが「船」からも滲み出ている。また、かなり寡作な作家としても知られる。6人の子の父であり、大学の仕事も愛していたようで、遅筆にならざる得なかったようだ。生活に追われ、仕事に追われ、書くための労力も時間も残っていない。それだけでも、真面目な人柄だということがわかる。

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