「雨の中の猫」 アーネスト・ヘミングウェイ

「雨の中の猫」 アーネスト・ヘミングウェイ

解読することが、これほどまでに面白いと感じる短編があるだろうか。「雨の中の猫」(原題:Cat in the rain)は、私がヘミングウェイにハマったきっかけであり、何度も何度も読み返した思い入れのある作品だ。闘牛、戦争、酒といったステレオタイプなヘミングウェイのイメージは、この女性目線のデリケートな短編によってまったく別の色に塗り替えられた。

「雨の中の猫」が発表されたのは1924年であり、もう1世紀近くも昔の短編ということに驚かされる。誰かの新作と言われてもまったく違和感がない。この作品に限ったことではないが、徹底して削ぎ落とされた簡潔な文章は、百年という月日にも色褪せることがない。一語一語が推敲を徹底的に重ねた上で丁寧に紡がれている。
1924年は「われらの時代」を刊行した年で、初期の名作がこの時期に多く書かれた。ヘミングウェイ年表の中でも最も眩しい時期という気がする。前年23年の秋に最初の妻ハドリーとの間に長男ジョン(愛称バンビ)が生まれ、フランスのモンパルナスへ住まいを移している。ヘミングウェイは1899年生まれなので、当時はまだ20代の半ば。この「雨の中の猫」を読むだけでも、かなり早熟な作家だとわかる。

「雨の中の猫」はとても短い話で、登場人物も少ない。通勤電車の中でさっと読めてしまう。
あらすじを書くので、未読の方は読まないでいただきたい。

イタリアに滞在する若いアメリカ人夫婦。妻はホテルの部屋の窓から外を眺めていて、雨滴に濡れまいとうずくまる猫を見つける。「ひろいに行く」と妻が言う。「ぼくがいってやるよ」と返すものの、どこか冷めている夫。妻はそれをことわり、自分でひろいにいく。途中、重厚な顔と大きな手の支配人が一礼する。威厳をたたえた容姿と、いつも役に立とうする誠意ある振る舞いに妻は好感を抱く。外に出ると猫はおらず、失望感に襲われる。部屋に戻り、妻は夫に生活の愚痴を言う。「膝の上でゴロゴロと喉を鳴らす子猫がほしい」「自分の銀器が揃ったテーブルで食事がしたい」「新しいドレスが何着かほしい」と。夫はうんざりし、読書へ戻ってしまう。妻は再び窓の外を眺める。その時、「支配人から申しつかりました」とでっぷり太った三毛猫を抱えたメイドが訪ねてくる。

あきらかに妻には寂しさや不満があるが、夫はそれに無関心だ。妻を気遣う言葉を発しはするものの、表面的で温度がない。二人の間にはすでに溝があり、部屋には物憂いムードが漂っている。このあたりの解釈に異論はないだろう。妻は、どのような苦情も真剣に受け止めてくれる包容力のある支配人に好感を抱いている。冷淡な夫との対比も感じられる。しかし、皮肉なことに支配人に申しつけられたメイドが抱えてきた猫は「でっぷり太った三毛猫」だった。この三毛猫が、雨の中で縮こまっていた子猫であるのかは作中では書かれていない。ヘミングウェイの伝記で知られるカーロス・ベイカーは同じ猫と主張し、訳者の高見浩氏は別の猫と見るべきだとしている。研究者や評論家でも意見が分かれているようだ。
同じ猫かどうかについては、原題の中に答えがあるように思える。ヘミングウェイはtheという冠詞を付けず、Cat in the rainとしている。The cat in the rainの方がタイトルらしいが、あえてtheを外している。同じ猫であるのか解釈を限定しないヘミングウェイの意図がここに伺える。
一つ言えることは、「でっぷり太った三毛猫」は明らかにネガティブな表現であり、妻が喜んでいるとは考え難い。同じ猫か否かというより、理想と現実のギャップがそこから読み取れる。窓から眺めているときには理想的な子猫に映ったが、近くで見るとでっぷり太った三毛猫だった。初めは理想的な男性であった夫も、今はまるで別の姿で目の前にいる。そうした理想と現実の乖離を、雨のホテルを舞台にメランコリックに描いた作品ではないだろうか。女性の側に立って書かれている作品ではあるが、常に心の高揚や生きる実感を渇望していたヘミングウェイらしい主題に思える。是非は別として、根っから「愛」よりも「恋」に生きようとした人なのだと思う。

ちなみに、「雨の中の猫」が発表された1924年の前年、アーネストと妻ハドリーはイタリアを旅し、2月23日に雨降るラッパロのホテルに滞在している。修道院を改装したホテルだったようで、それが重く暗い作品のムードに影響しているようにも感じる。翌年に二番目の妻となるポーリーン・ファイファーと出会うことを考えると、若い二人はすでに倦怠や亀裂の兆しの中に居たのかもしれない。
ヘミングウェイ本人は、アメリカ人女性のモデルはハドリーではないとフィッツジェラルドへの手紙の中で書いている。このあたりは諸説あり、ハドリーの妊娠時期との関連性についてもいろいろと研究されている。子猫は胎児のメタファーであるという説もある。ヘミングウェイが子供の誕生を願っておらず、重い荷物であるかのように「でっぷり太った三毛猫」といった否定的なトーンで表現したと解釈する研究者もいる。創作意欲に燃える若きヘミングウェイにとって、父親になることは重荷だったのではないかと。そう考えると、なんだか不快な作品にも思えてくる。氷山の一角しか書かない作家なので、さまざまな解釈が出てくるのだろう。
アーネスト・ヘミングウェイはとても複雑で多面的で矛盾に溢れた人間だと思う。それが作品の解釈を難解にしているが、一方で褪せることのない興味の源となっているのではないだろうか。

われらの時代・男だけの世界 (新潮文庫―ヘミングウェイ全短編)


ヘミングウェイ全短編

 

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