「ブラック・カウボーイズ」 ブルース・スプリングスティーン

「ブラック・カウボーイズ」 ブルース・スプリングスティーン

ブルース・スプリングスティーンの曲についての解説や評論で、「短編小説のよう」という表現を時々見かける。ファンであれば、「ネブラスカ」や「ゴースト・オブ・トム・ジョード」「デビルズ・アンド・ダスト」などアコースティックなアルバムがすぐに思い浮かぶだろう。マイノリティや社会的弱者の悲哀を深く静かに作品化しており、胸に迫る曲が多い。

ブルース・スプリングスティーンほど誤解されているアーティストも珍しい気がする。鍛えられた逞しい肉体、芯の強い嗄れ声、驚異的な声量、ジーンズに革ジャンといった外見から作られるのは、アメリカのシンボルやブルーカラーの代表といった紋切り型のイメージだ。それらを全否定するつもりはないが、スプリングスティーンの最良の個性はナイーブでセンシティブでクリエイティブな面であり、多くの模倣者がまるで似ていないのもそこの履き違いにある気がする。

今回取り上げるのは2002年のアルバム「デビルズ・アンド・ダスト」(原題:Devils & Dust)に収められた「ブラック・カウボーイズ」(原題:Black Cowboys)。アコースティックギターとピアノのアウトロが印象的な、小説以上に小説的な一曲だ。スプリングスティーンのストーリーテラーとしての巧さを堪能できる。

治安の悪いサウスブロンクスに暮らす少年と母親を描いている曲で、わずか4分の曲だが、油の乗り切った作家が心の深いところへ降りていき書いた、容易に真似のできないレベルの完成度がある。そこには凄みを感じる。個人的には「ボーン・トゥ・ラン」よりもずっと重要な曲だ。

未熟な英語力ではあるが、頑張って雰囲気を損なわぬよう訳してみた。曲を聴きながら読んでもらえると嬉しい。

レイニー・ウィリアムズの遊び場はモットヘイブン通り(ブロンクスで最も治安が悪いエリア)だった。

彼は、溶けたキャンドルやフラワーリース、若い黒人たちの顔写真の中を走って過ごした。

彼らの死と血が、この場所を神聖なものにしていた。

レイニーの母は言った。「レイニー、私のそばにいてね。おまえは私の恵み、誇りなの。

おまえさえここにいれば、私は生きていける。学校から帰ったら、外には行かないようにね」

レイニーは宿題を済ませると教科書を片付けた。来る日も来る日も、テレビで西部劇を観た。

リネットは、オクラホマ山岳地帯の黒人カウボーイや平原インディアンたちと戦ったセミノール族の本を持って帰った。

夏が来て、日が長くなった。

レイニーにとって、母の笑顔は心の拠り所だった。

一日の終わりに、弾丸の飛び交う通りを抜けて、暖かな母の腕の中へ帰って行った。

秋になると、殺された者たちの土地に立つ家々が雨で水浸しになる。

激しく、暗く、音もなく雨は降り続けた。

リネットは、大通りでビジネスをする男を家に連れてきた。

決してガードを崩さない上辺の微笑みを浮かべる男を。

キッチンシンクのパイプの中には、彼の秘密が隠されていた。

昼の間、彼はカーテンの引かれたリネットのベッドルームで眠った。

やがて、彼女は虚ろになっていった。

レイニーが拠り所にしていた微笑も失われていった。

彼を抱きしめていた両腕は、もはや心休まる場所ではなくなった。

夜、彼は顔を彼女の胸にあて、奥底に潜む亡霊に耳を澄ます。

レイニーは、キッチンのパイプの間に腕を滑り込ませ、

茶色い紙袋から500ドル分の紙幣を抜き取り、コートのポケットに仕舞った。

暗闇の中で母のベッドの脇に立ち、彼女の髪に触れ、瞼にキスをした。

薄明かりの中、石畳の道をレイニーは駅へと歩いた。

彼を乗せた列車はペンシルバニア、そしてオハイオを過ぎていった。

彼が座席の背に頭をもたれて眠っていると、

いつの間にか大きな列車は小さな幾つものインディアナの町を通り過ぎた。

彼が目を覚ますと、町の風景は未開の湿地帯に取って代わっていた。

トウモロコシ、綿、果てしなく何もない大地。

オクラホマのでこぼこした丘の向こうに、赤い太陽が滑り落ちるように消えていった。

月が昇り、剥き出しの大地が露わになった。

 

Rainey William’s playground was THE MOTT HAVEN streets

Where he ran past melted candles and flower wreaths,

names and photos of the young black faces,

whose death and blood consecrated these places

Rainey’s mother said “Rainey stay at my side

For you are my blessing, you are my pride.

It’s your love here that keeps my soul alive

I want you to come home from school and stay inside.”

Rainey’d do his work and put his books away.

There was a channel showed a Western movie everyday

LYNETTE brought him home books on the black cowboys of the Oklahoma range

AND the Seminole scouts that fought the tribes of the Great Plains.

Summer come and the days grew long,

Rainey always had his mother’s smile to depend on.

Along A street of stray bullets he made his way

To the warmth of her arms at the end of each day.

Come the Fall, the rain flooded these homes in Ezekiel’s valley of dry bones,

it fell hard and dark to the ground. It fell without a sound.

LYNETTE took up with a man whose business was the boulevard,

whose smile was fixed in a face that was never off guard

In the pipes ‘neath the kitchen sink his secrets are kept

In the day, behind drawn curtains in LYNETTE’S bedroom he slept.

And she got lost in the days. The smile Rainey depended on dusted away.

The arms that held him were no more his HOME.

He lay at night his head pressed to her chest listening to the ghost in her bones.

In the kitchen, Rainey slipped his hand between the pipes

From a brown bag pulled five hundred dollar bills and stuck it in his coat side,

stood in the dark at his mother’s bed, brushed her hair and kissed her eyes.

In the twilight Rainey walked to the station on streets of stone.

Through Pennsylvania and Ohio his train drifted on.

Through the small towns of Indiana the big train crept,

as he lay his head back on his seat and slept.

He woke and the towns gave way to muddy fields of green

Corn and cotton and endless nothing in between

Over the rutted hills of Oklahoma the red sun slipped and was gone

The moon rose and stripped the earth to its bone.

 

途中に「in Ezekiel’s valley of dry bones」というフレーズが出てくるが、そのまま訳してしまうと「乾いたエゼキエルの谷に」といった感じになってしまう。これは旧約聖書的には「寿命を全うできずに道半ばで死んだ者達」といった解釈なるのではないかと思う。文脈も合わせて、「殺された者たちの土地に」とした。的外れではないと思うのだが。。。

この曲を訳してみて、「bone」という単語が象徴的に何度も使われていることに気がついた。スプリングスティーンの歌詞や言動に宗教色が強まってきた時期であり、自分には知識不足でよくわからないが「bone」もそうした一つの現れかと思う。

ちなみにレイニーと母が暮らすモットヘイブンは、ニューヨークのブロンクス最南端のいわゆるスラム街。犯罪の中心地のようなエリアだ。殺人が日常茶飯事のような治安の悪い地区に生きる、母の笑顔だけに安らぎを覚える少年。この設定だけで、この曲はすでに成功している気もする。

スプリングスティーンは「デビルズ・アンド・ダスト」というアルバムについてこう語っている。

「多くの曲は西部、田舎の風景のように感じるものが舞台となっている。その内容は混乱の中を前に進もうと努力している人びとについてで、うまくやれることもあるし、悲劇が起こることもある」と。

そこには、人はこう生きるべきだ、これこそが正義だ、といった押し出しの強い断定的なメッセージはない。他の作品にも言えることだが、その容姿とは違ってマッチョさとは無縁だ。厳しい現実をドライなタッチで描かれる曲たちは、苦境から立ち上がろうとする静かで強かな意思を内包している。

デビルズ・アンド・ダスト