「身を横たえて」 アーネスト・ヘミングウェイ

「身を横たえて」 アーネスト・ヘミングウェイ

原題は「Now I Lay Me」 。「Now I lay me down to sleep」というアメリカで生まれたお祈りの言葉があるらしく、「主よ、今、私は眠ります」といった意味合いかと思う。キリスト教ムードに淡く包まれた短編であり、私なら「主よ、わたしはねむりにつきます」といった忠実な邦題を付けたくなるところだ。
日本人読者に向けて、わかりやすいタイトルにアレンジするという考え方もあるだろう。個人的には、難解であったとしても原題に忠実な方が嬉しい。翻訳者批判をするつもりなど毛頭ないので、そこは誤解のないように。批判どころか、高見浩氏がいたから、私にとってヘミングウェイが特別な存在になったと言える。私は高見浩著「ヘミングウェイの源流を求めて」の熱心な読者であり、エルモア・レナードやジム・トンプソンなど先生が訳されたクライムノヴェルも愛読している。新刊「老人と海」ももちろん読むつもりだ。

「身を横たえて」という短編は、正直なところ手強い。解題するには相当の労力と時間を要するだろう。
第一次世界大戦で負った心身の傷、「二つの心臓の大きな川」に通底する自己救済のための鱒釣り、「異国にて」との関連を感じさせる女性や結婚への嫌悪、幼少期の両親にまつわる嫌な思い出、そして祈り。
いくつもの記憶が時間軸を大胆にジャンプしながら次々と立ち上がってくるため、読み手の頭の中は仄暗いカオス状態になる。ただ、容易に理解できない複雑さはあるものの、第一次世界大戦がヘミングウェイにとって心底恐ろしい体験であったということは感じ取れる。明らかにスペイン内戦ものの短編とは違った重苦しいトーンに包まれている。消えないトラウマが書かせた短編と言えるだろう。

この「身を横たえて」を読むと、アーネスト・ヘミングウェイという人間が、その容姿から受ける印象と違い、また世の中に浸透しているハードボイルドなイメージと違い、とても内向的な性格であったことが伝わってくる。暗闇の中で何時間も記憶の倉庫をひとりで徘徊する。そういうことは普通の人はしない。まあ、私は割とするが。。。

このブログを読んでくれているアナタもするタイプかな。決めつけるつもりはないが、なんとなくそんな気がする。